人間は一面では語れない。それは経営者も同じだ。新一万円札の顔に選ばれた渋沢栄一は、1000を超す企業や事業の設立にかかわる一方、艶福家だった。ライターの栗下直也さんは「可能な限り多くの人と会い、分け隔てなく接した。その根底には生涯守り続けた孔子の教えがあった」という――。
療養中の身で、中国の水害基金募集を放送で呼び掛ける中華民国水災同情会会長の渋沢栄一子爵(中央)と、兼子夫人(右端)、長男篤二(栄一の左後ろ)ら家族=1931年9月6日、東京・飛鳥山の自邸(日本電報通信社撮影)
写真=共同通信社
療養中の身で、中国の水害基金募集を放送で呼び掛ける中華民国水災同情会会長の渋沢栄一子爵(中央)と、兼子夫人(右端)、長男篤二(栄一の左後ろ)ら家族=1931年9月6日、東京・飛鳥山の自邸(日本電報通信社撮影)

自宅に妻と妾を同居させ、子どもの数は20人以上

7月3日に紙幣が刷新された。1万円札の肖像には福沢諭吉に変わり、渋沢栄一が採用された。渋沢は日本資本主義の父と呼ばれた。民間経済の活性化こそ国の発展につながると訴え、多くの株式会社を設立した。

みずほ銀行、東京証券取引所、日本赤十字社、東京ガス、帝国ホテル、王子製紙、東急電鉄、キリンビールなど日本の近代化の礎となった数々の大企業を立ち上げ、その数は500近い。経済のインフラといえる業種が大半で、渋沢が立ち上げた企業が私たちの日常を支える。

功績からしてお札の肖像に選ばれるのは不思議ではない。むしろ、遅かったとの指摘もある。実際、渋沢は1963年にも一度、新千円札の肖像の候補にあがったが、外されている。落選した理由は「ひげ」だ。

当時は紙幣の偽造防止技術が進歩していなかったため、ひげのない渋沢は肖像が複雑にならず、偽造の可能性を排除できなかったのだ。そこで、豊かな口ひげやあごひげをたくわえた伊藤博文が、採用されたといわれている。

この際、まことしやかにささやかれたのが「渋沢は女性関係が派手だから落とされた」という説だ。伊藤博文も女性関係は派手で「箒」(愛人が掃いて捨てるほどいたため)と呼ばれていたくらいなので、女性問題を理由に肖像から外されることはないのだが、確かに渋沢はスケールが違う。