日本の近代経済社会の礎を築いた渋沢栄一はどんな人物だったのか。曾孫の渋沢寿一さんは「生涯で500もの企業の設立に関わったのは、決して財産や利権を得るためではない。彼は資本主義によって豊かで平等な社会をつくろうとしていた」という――。
※本稿は、渋沢寿一『森と算盤 地球と資本主義の未来地図』(大和書房)の一部を再編集したものです。
渋沢栄一の理想は「資本主義」ではなく「合本主義」
渋沢栄一は3年という短くも濃い官僚生活を経て、1873(明治6)年に下野します。33歳のときでした。その後、古希を目前に69歳で多くの企業の役員を辞するまで実業家として活動し、平和な世を目指して民間外交にも精を出すようになります。
栄一が実業家として活動していく際、精神的支柱としたのが、幼い頃から慣れ親しんだ『論語』でした。論語で説かれていた考え方や倫理観は、自分の理想とする「合本主義」を実現するためにも必要だと考えていたようです。
栄一は「資本主義」ではなく、より公益を求める意味で「合本主義」という言葉を用いていました。
資本主義とは、資本がサービスの生産・流通の主体となる経済体制のことですが、合本主義とは「公益を追求する使命に最も適した人材と資本を集め、事業を推進させる」という考え方です。
栄一が唱える合本主義は、資本主義よりも強い規範を伴い、公益の追求、つまり人と人がつくり出す豊かな社会の形成が主軸に置かれていました。
集大成『論語と算盤』に書かれていること
栄一の思考の集大成として出版されたのが『論語と算盤』です。1916(大正5)年、76歳のときでした。栄一は、当時高まっていた経済偏重と個人の利益重視の風潮を敏感に感じとり、この本の中で、利潤を追求するだけではない「道理正しい経済」を説きました。
人々が利益追求へと暴走しそうになったときに『論語』がそのストッパーの役割を果たしてくれると考えたのです。
『論語と算盤』の冒頭には、「論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものである」とあります。これは栄一の「経済道徳合一」、つまり、経済と道徳のバランスについて端的に述べた表現だと思います。