渋沢栄一の苛立ちの対象
遺憾なのは、精神方面の改善進歩の見るべきものがないことである。(略)これは日本のみでなく世界的に面白からぬ状態にあると言えよう。これがため私の常に力説している経済道徳合一の必要があるのである。物質の進歩に精神が伴うて初めて完全なる文明が生まれるのである。(中略)
ただ今日のごとく自分さえよければ他人はどうでもよいというふうで、物質のみを主とすることのないようにありたい、さりとて唯心的になり経済観念を忘れるようでは困る。どうしても両々相俟って進むことが必要である。一言に尽くせば、道理正しい経済を進めることが必要である。
(「米寿を迎えた喜び」『渋沢栄一自伝』角川ソフィア文庫所収)
栄一の願いも虚しく社会の経済偏重は進み、現在は完全にお金で物事の価値が計られるようになりました。
しかし、彼の価値観は栄一の薫陶を受けた経営者たちには引き継がれました。私は、その最後の世代の経営者たちに実際にお会いしてお話しする機会を得ました。彼らは戦争を体験した世代でした。
1970年代の経済界の重鎮たちの中には、自分の会社の利益について語る人はいませんでした。どういう社会、どういう日本をつくるかということを語っていたのです。
この40年間で消えてしまった「公益」
みなさん口を揃えて仰っていたのは、会社を経営することは「戦争で死んだ友人のためでもある」ということでした。戦時下では、優秀な者が次々と戦地で亡くなっていきました。それを目の当たりにした人たちには、自分たちが生き残ったのは亡くなった優秀な友人たちの夢を実現させるためだ、という考えが根底にあったのです。
だからこそ、未来につながっていく社会をどうつくっていくべきか、という理念を体温のある言葉で語ることができたのだと思います。
しかしバブル崩壊後、日本経済が低迷期に入り、さらにリーマンショックが追い打ちをかけ、経営者も理念どころではなくなります。自分たちが生き残ることに必死になり、世の中のことや公益について考えたり、投資したりする場合ではなくなってしまいました。
1970年からわずか40年で、栄一が重視していた公益という概念は日本からほとんど消えてしまいました。