自宅に押し寄せる人、人、人
渋沢が関わった福祉機関・教育機関は、設立した企業数(約500)を上回る約600とも言われている。会社とあわせると生涯で1000以上の組織に関わったことになる。もちろん、渋沢がいくら精力的とはいえ、当然、渋沢一人で立ち上げられるものではない。アイデアにも限界がある。彼の著書の『論語と算盤』にはこうある。
老年となく青年となく、勉強の心を失ってしまえば、その人は到底進歩するものではない、いかに多数でも時間の許す限り、たいていは面会することにしている。
彼は孔子の熱烈な信奉者だった。論語を枕元に置き、悩みがあると寝る前に手にとって読んでいた。現代よりも儒教色が強い当時でも異色だった。
「多数の訪客に接するは人間の義務」という孔子の教えを守り、忙しくても渋沢は時間が許す限り、人と会った。これにより、人との縁もでき、情報を得て、新たな事業の着想が生まれた。現代ほど情報が流通していない時代、人が情報を運んできたのだ。
渋沢ほどの人物ともなれば、多忙だ。時間は有限だ。実行するのは簡単ではない。それにもかかわらず、朝の出勤前に面会時間を設けて、誰とでも面会した。相手の身分を問わずに、分け隔てなく、応じた。
「金をくれ」という訪問客に対してやったこと
高齢になってもその習慣は続き、少ない日でも毎朝10人の訪問があったという。
私は遅くも朝六時半には起きて入浴し、書信に一通り眼を通し七時半に食事が終る。その食事前から訪客が待っているので、直ちに御面会するのであるが、その訪問客の内にはあらかじめ電話を掛けて打合せの上見えられる方もあるけれども、突然尋ねらるる人もあるし、初めて御会いする人も多く、時には新聞雑誌記者が意見を聞きに来る。
相談の内容も千差万別だ。渋沢を利用しようとする者も少なくなかったという。
こういう風なので、その要件も各種各様にわたり、中には事業についての意見を問う人もあるし、寄付金の勧誘もあり、海外に赴くについての紹介や斡旋、就職の依頼等を始めとして遽かに数へ切れないが、私を利用しようとして訪問さるる人も少なくない。加うるにその日によっては訪客の半数位は全然未知未見の人である事も往々あるが、従て面会して見るといわゆる空空如たるものもある。しかし私はいかなる人に対しても時間の許す限り面会をしており、またその要件についてはなるべく解決を与えてやる方針を採っている。
当然、どこの馬の骨ともわからない者も押し寄せてきた。「金をくれ」というものもいれば、弟子にしてくれというものもいた。それでも誰とでも会うという姿勢は崩さなかった。誠意をもって耳を傾け、自分の良心にもとづきできるだけの答えを示し、ときに相手を諭した。