最晩年まで続けたこと
訪問客のひとりにはイオングループの創業者である岡田卓也の父親の岡田惣一郎もいた。
当時十代だった岡田は友人たちと四日市から行商しながら旅費を稼ぎ、上京し、渋沢の自宅をアポなしで訪ねた。
渋沢は会ってくれた。時間はわずか2分余りで特に会話はなかったが、渋沢はひとり一人と握手を交わしたという。惣一郎の日記には「この感激を如く何に伝えん」とある。惣一郎は稼業の呉服屋を継ぎながらも、洋服の扱いを始めたり、貸借対照表などの近代経営をとりいれたり、巨大流通グループの礎を築く。渋沢との出会いが少なからず影響しているだろう。
情報があふれる現代においても、対面で話す意味は薄れない。思わぬ出会いや気づきをもたらし、人を新たな世界に導いてくれる。それを人は「運」と呼ぶのではないだろうか。
渋沢は「運」をいかすも、殺すも自分次第であることを知っていたのだろう。その運を最大限に生かすために、多くの人と会い、利他の心で接し続けた。人に会う、可能な限り、わけへだてなく接する。渋沢ほどの偉業を達成できるかどうかは別にして、誰もが明日から実践できる知恵ではないだろうか。
参考文献、WEBサイト
『雨夜譚 渋沢栄一自伝』渋沢栄一、長幸男校注、岩波文庫
『論語と算盤』渋沢栄一、KADOKAWA
『処世の大道』渋沢栄一、近代経済人文庫
『デジタル版「実験論語処世談」』渋沢栄一記念財団
『明治を耕した話』渋沢秀雄、青蛙選書
『岡田克也、父と子の野望』榊原夏、扶桑社