「米国流の手法を学ぶのは今しかない」

1997年、久しぶりに再会した本間さんから話を聞いた僕は、「銀行で悠長に仕事をしている場合じゃない」と、いても立ってもいられなくなった。三菱商事を辞めて安田信託銀行に転職した時には、骨をうずめる覚悟だったのだが。本間さんによれば1、2年のうちに何千億円という不動産投資マネーが米国からやってくるということだった。そのためケネディ・ウィルソン・ジャパンのトップである本間さんは、日本の不動産市場で投資先を探していた。

本間良輔氏と著者(2010年頃)出所=『100兆円の不良債権をビジネスにした男

本間さんによれば、「日本にとってここが勝負時。日本は必ず復活するのだから、不動産を買うなら今だ」。まさに黒船の来航だった。

僕は安田信託銀行の上司に掛け合った。「不動産ビジネスが劇的に変わる時代になる。信託銀行にとっても正念場となる。米国流の手法を学ぶのは今しかないので、ケネディ・ウィルソン・ジャパンにぜひ出向させてほしい」。2年間限定ではあったが、出向できることになった。1998年6月のことだった。

2年間で「日本の不動産業界の常識」を破壊した

ケネディ・ウィルソン・ジャパンでは毎日が刺激的だった。当時の日本の不動産オーナーのほとんどは「土地は必ず上がる」と信じ込んでおり、「外国人に不動産を売るなんてとんでもない」「自分の目の黒いうちは不動産は絶対に売らない」とかたくなだったが、「不動産を手放すなら今しかない。後で必ず後悔しますよ」と説得していった。こうして出向中の2年間でこの日本の不動産業界の常識を破壊していった。

社員1万5000人の三菱商事から5000人規模の安田信託へ転職、そして社員4人の会社に出向したわけだが、もう出向元の安田信託に戻る気はなくなっていた。そこで、「米国流の不動産ファンドを日本で立ち上げたい」と退職を願い出た。ところが即座に却下され、役員と何度も折衝を重ねることとなった。最終的にはケネディ・ウィルソン・ジャパンへの転職が認められたが、「米国不動産ファンドで得たノウハウは優先的に当行の若手社員に伝授することが条件」と、顧問契約を締結することになった。