地方都市では「利回り15~20%の物件」も多かった
日本全体で見るとAUMは2000年頃から急拡大が始まった。2007年には20兆円超に成長、2023年現在は50兆円以上にもなっている。私募ファンドと不動産投資信託(REIT)がこの市場を二分しており、ケネディクスは市場全体の約5%のシェアを維持し、この流れに歩調をあわせる形で成長していく。企業や金融機関が不動産を手放すと、それらをまとめて買い占めを進めていった。
1997年に北海道拓殖銀行と山一證券が破綻した。2001年頃には小泉政権が構造改革に着手し、過剰債務に陥った企業を淘汰することで日本経済の立て直しを図っていく。2000年に大手百貨店のそごうグループ、2001年には準大手ゼネコンの青木建設が経営破綻するなど、大手企業が相次いで倒産した。
銀行や保険会社は倒産するわけにはいかないため、次々に合併していった。合併により全国の営業所や出張所が重複するので、50カ所、100カ所といった単位で売りに出る。ケネディクスは時流に乗り、これを安くまとめ買い(バルク買い)していく。米マスミューチュアル生命保険(後に日本生命が買収)の全国50カ所の営業所、安田火災海上保険(現・損保ジャパン)の保養所や寮など全国50カ所を買った。
早朝3時まで仕事をして帰宅し、朝8時には出社し昨日の仕事の続きをするといった生活で寝る間もなかった。当時、ケネディクスの本社は新橋2丁目にあったので、「新橋の不夜城」と自称していた。今ならブラック企業の典型だろう。それでも面白くて仕方がなかった。
当時、企業や金融機関は手持ちの不動産を投げ売りするように売っていた。現在では信じられないほどの安い価格で不動産を購入できた。その頃の投資家の期待利回りは東京で7~8%だったが、これをクリアできる物件はいくらでもあった。札幌などの地方都市では利回り15~20%の物件も多かった。