「紙の本は大切です。守ってください」は甘い

「書店」は、しょせん小売業であり、文化産業ではない。文化的な商品を扱う小売業に過ぎない。小売業を含む全ての企業は、社会の変化や消費者の変化を分析し、予測し、わがままとも思える顧客の要求に徹底的に応え、その期待を上回るサービスを提供して初めて生き残ることができる。

「紙の本は大切です。だから私たちを守ってください」は通用しない。

「私たちの扱っている商品は『文化』そのものです。だから私たちを助けてください」

それは甘いんじゃないか。それでは、多くの消費者の賛同を得られないだろう。

肉や魚から得られる栄養は、人の成長に不可欠だ。でも街からは肉屋・魚屋は消えてしまった。呉服屋、布団屋、豆腐屋、お米屋も人が生きていくのに必要なものの商いをしていたけれど、スーパーに吸収され街から消えてしまった。

肉屋、魚屋、呉服屋、布団屋、豆腐屋、お米屋は、それでも形を変えて残っているから本屋とは違うかもしれない。でも畳屋はどうだろう。日本家屋の減少とともに、ほとんど街で見かけなくなった。

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出版業界と世の中の評価のズレ

「畳は日本の文化です。社会の変化(洋風化)で商いが難しくなってきました。だから守ってください」と言われても、私たちはどこまで真剣に考えただろうか? 「洋風建築が主流だし、今はフローリングだよね、仕方ないよね……」という程度にしか考えてこなかったのではないか。

本も同じだ。私たちは本を売ることを生業としているから、本の大切さを訴えているけれど、そうでない人たちからすると畳屋の事例と同じである。「本は大事だよね、それはわかるよ。でも、ネットの時代だしね。スマホで読めるし、仕方ないよね、読みたい人だけ紙で読めばいいんじゃない?」というのがむしろ普通の感覚だろう。

自らが取り扱う商品に対し、愛情と愛着を持つことは大切だが、客観的な評価を捻じ曲げてはいけない。「大切な文化的商品。なくしてはいけない」と私たちが思っても、世の中の人はそれほどまでの意識はない可能性が高い。

出版業界に身を置く我々が、畳や畳屋の心配をそんなにしなかったことと同じだ。1996年のピークから販売高半減というマーケットシュリンク。これが「本」という我々の大切にしている商品への世の中の評価なのだ。ほかに代替できるものができたから、あるいはいらなくなったから「買わない」という単純なものだ。

「文化」は特別なものではあるかもしれないけれど、特権ではないし、まして、「文化的な価値のある商品」なんて本以外にもたくさんあるのだ。