「一方的な意見の押しつけ」に視聴者は辟易している
「昭和感」を出す演出においても中途半端さが否めない。唐沢寿明氏の演技は見事で安心して見ていられたが、話題を呼んだドラマ「不適切にもほどがある!」を意識し過ぎたのか、「女は早く結婚して元気な子どもを産め」「女は世界のことなんか知らなくていい」など、「男女差別」だけを一辺倒に描く表現が視聴者にとって鼻についた可能性は否めない。
一番の欠点は、万博への想いの描かれ方である。
「主人公の万博へのあこがれ=皆のあこがれ」という紋切り型のロジックで話が展開されてゆくため、どうしても見てゆくうちに「万博のよい面だけを強調されている」ような気持ちになってくる。それが、視聴者にとって「一方的な意見の押しつけ」に思えて、共感を得られない原因となったのではないか。
無意識に芽生えるスポンサーへの忖度
以上に挙げたような番組内容における「負の要素」が積み重なって、視聴者に「国策ドラマ」という印象を与えてしまった恐れがある。
いま、こういった局の意向と制作現場の実務との乖離が顕著になってきている。その理由は大きく3つ挙げられる。
①制作現場の能力やスキルが落ちている
②制作現場が忙しすぎる
③制作者側がスポンサーに対して忖度もしくは迎合をおこなった
①はこれまでプレジデントオンラインで述べてきたように、テレビ局からの人材流出やリテラシーの低下が原因となっている。②はこれも過去に指摘したような「ドラマ多産化現象」が原因となっている。
問題は③だ。「忖度」や「迎合」は、意図しなくとも無意識におこなわれることがあるからである。例えば、主人公の万博への想いがあまりにも「万博讃美」に偏って描かれていたことは作り手の「力量の問題」だと言い切れるだろうか。
もしかしたらそこに、協力して制作費を出してくれたスポンサーへの配慮や気遣いといった忖度があったという可能性はないか。無意識のうちに、万博を応援するスポンサー企業に迎合する気持ちが芽生えたということもあり得るのではないか。
私にも同じような経験がある
私の経験からの実例を挙げよう。テレビ東京開局55周年特別企画ドラマスペシャル「二つの祖国」を企画・プロデュースしたときのことだ。大手スポンサーの宣伝部長が原作者、山崎豊子氏の大ファンだと局の営業から聞いた。