前述したように、国家的イベントの「美談」や「感動」は多くの視聴者を惹きつけ、高い視聴率を獲得する。そしてそれは結果的にスポンサーを喜ばせる。そうテレビ制作者側は考えている。それは必ずしもスポンサーの意思ではない。テレビ制作者の勝手な思い込み、すなわち「忖度」なのだ。
前述の元テレビ局営業幹部は繰り返して言った。
「スポンサーには“忖度”や“ご祝儀”といった考えはない。いいものだから買ってくれる。だから、テレビ局は買ってもらえるためにいいものを作らなければならないのです」
テレビは依然として社会へのインパクトが大きい。そのテレビが、知らず知らずのうちに国を挙げての行事・イベント、あるいは特定のイデオロギーに加担し、国民感情をステレオタイプへと指向させてしまう特性があるということを、視聴者は意識しなければならない。それが、テレビを見る側にも必要なリテラシーなのだ。
もうテレビは「昔のまま」ではいられない
4月8日、市民グループ「テレビ輝け!市民ネットワーク」は、テレビ朝日ホールディングス(HD)に対して「権力に忖度や迎合をしない」ことを求める株主提案をおこなった。この団体は昨年発足したが、田中優子前法政大学総長と前川喜平元文部科学次官が共同代表を務めている。メンバー48人でテレ朝HDの株を購入して、株主としての発言権を得た。
こういった動きからもわかるように、テレビ局による政治への忖度や迎合は社会問題として認識されてきている。そして、そのことに市井の人々も気づき始めている。視聴者側のリテラシーが高まってきている証拠だ。
価値観が多様化し、テレビに対する視線は厳しさを増している。そのような状況下で、テレビ局は独りよがりで勝手な思い込みをしていないか。過剰な忖度によってかえって「自己規制」をしてしまっていないか。それによって歪んだ報道や番組作りをしていないか。放送文化を享受する権利があるはずの国民に健全な情報を届けられているのだろうか。
最も視聴者に近い存在であるべきテレビに関わる者、一人ひとりが改めてそういった「問い」を自分自身にしながら、番組作りにあたらなければならない。