山で遭難した人たちは、どのようにして生還したのか。ノンフィクションライターの羽根田治さんの著書『ドキュメント生還2』(山と溪谷社)より、「奇跡の生還」を果たした遭難者たちのエピソードを紹介する――。

※本稿は、羽根田治『『ドキュメント生還2』(山と溪谷社)の一部を再編集したものです。

樹木の根本の横に座っている遭難した男性
写真=iStock.com/okugawa
※写真はイメージです

左足首を骨折し動けなくなった男性が生還するまで

99(平成11)年には、“奇跡の生還”的な遭難事故が相次いで起きている。

まずは南アルプス・荒川岳での事例。50歳の男性が冬山の写真を撮影するため、南アルプス南部を縦走する計画を立てて入山したのは前年の年末のこと。男性は12月30日にマイカーで長野県大鹿村の湯折に入り、そこからタクシーを呼んで鳥倉登山口へ向かい、三伏峠への登山道を登りはじめた。テントに泊まりながら烏帽子岳、小河内岳、荒川岳と縦走し、予定どおり1月7日には大聖寺平から下山にとりかかった。ところが、下りはじめて間もなくアクシデントに見舞われる。たどっていった先行者のアイゼンの跡が正しいルートを外れ、前岳西側斜面の沢へと続いていたのである。

先行者はクライミングギア一式を携行していたらしく、氷結した滝をクライムダウンしていったようだった。しかし男性はクライミングギアを持っておらず、滝を迂回して下りようとしたときに、足を滑らせて3メートルほど滑落し、左足首を骨折して行動不能となってしまった。やむなくその日はそこにテントを張ってビバークしたが、翌日になると、足は靴に入らないほど腫れ上がり、さらに数日間のビバークを強いられることになった。

ようやく靴に足が入るようになって行動を再開するが、現場は荒川大崩壊地近くの急斜面。滑落しないように、右手にピッケル、左手にナイフを持って雪と氷の斜面と格闘するも、片足が不自由なため行程ははかどらず、わずか1キロ足らずの距離にある広河原小屋にたどり着くのに1週間ほどかかってしまった(1月17日着)。翌日は、標準コースタイムで約5時間の湯折へ向けて下山を開始したが、結局、湯折にたどり着いたのは、3日後の1月20日のことであった。