それは、「放送文化を支えよう」という考え方だ。

長年、テレビ局の営業幹部を務め、番組スポンサーである企業と直接向き合い、「テレビ局とスポンサー」の関係値を知り尽くしている人物に話を聞いた。彼は、「企業は大手のメディアを大事にし、トップ企業になるほどその意識は高く、テレビ局が力を入れているもの(番組や取り組み)にはおつき合いしよう(広告を出そう)としてくれる」と語った。

高い広告費でもスポンサーが集まる

こうした傾向は、外資系企業より国内企業のほうが強く、テレビ局の営業担当と企業の宣伝部長との間の信頼関係によって成り立っている。両者の関係の深さは、以下の元テレビ局営業幹部の証言からもうかがえる。

「各局の周年が近くなると、企業の宣伝部長も気にして、『開局記念番組』を提供するための広告予算を確保しておいてくれる」。それが、「開局記念番組」という通常より高めのCM枠を企業が購入する動機になっているという。

もちろん、企業側にもメリットがある。「開局記念番組」を支えられるだけの力がある企業であるという自負とアピールである。そして巨額な制作費を投入した番組は当然、クオリティがいい。そんな番組の間に流れる企業のCMも引き立つというわけだ。

テレビリモコン
写真=iStock.com/Rui Xu
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ステレオタイプな「成長物語」に対する違和感

では、なぜ視聴者に「万博ヨイショ番組」と思われてしまったのか。

今回の「万博の太陽」の番組提供はNTT、サントリー、トヨタ、花王、明治、IHI、大正製薬と大手のナショナルスポンサーがずらりと顔を揃えている。2025年万博のスポンサー企業であるくら寿司や大和ハウス、パビリオンを出展するアサヒグループなども提供クレジットに名を連ねている。これだけ「万博色」が強ければ、「万博ヨイショ番組」と思われるのも当然だが、それは直接の理由ではない。

はっきり言おう。それは、制作サイドの問題だ。

視聴者に偏重した主義・主張の番組だと思われないためには、企画を選んだ編成セクションがその内容やクオリティをコントロールする。今回の場合も「世界への憧れを胸に、夢に邁進したヒロインと家族の物語!」とキャッチフレーズされているように、編成は「あの古き良き時代を回顧しながら描くのだから問題ない」と判断したはずだ。「ヒューマンドラマ」という要素も企画決定の追い風となっただろう。

しかし、世間の受け捉え方は違った。ここに作り手の「誤算」がある。

作品の内容はあまりにも「ステレオタイプ」過ぎた。「お見合いを繰り返すが、うまくいかない女性」が自分の夢をあきらめずに頑張る「成長ドラマ」を描きたかったのだろうが、「頑張る」という部分が消化不良で、「主人公は結局運がよかっただけでは?」と思ってしまった視聴者も多かったのではないだろうか。