1902年創刊の歴史ある雑誌も置いている

店内には戦後間もない頃の掛川市街地の写真が飾られている。伊豆半島出身の高木の、掛川の歴史に敬意を払う姿勢が地元の人たちに支持されないはずはない。

静岡関連本のコーナーに、掛川市が編集した小学校の社会科の副教材が並んでいる。小学3年生の目線に合わせて郷土の歴史や地理をわかりやすくまとめた冊子は、子どもだけでなく大人にとっても掛川という土地を知るにはうってつけのテキストだと、高木が掛川市役所に直接交渉をして仕入れた。

すぐ隣に『報徳』というタイトルの雑誌が平積みされている。二宮尊徳の教えを現代に伝えることを目的に、掛川市に本拠地のある大日本報徳社が制作している月刊誌だ。報徳とは、二宮がその生涯を通じて考え、編み出した社会道徳のことだ。

「これ、掛川の書店の中で置いているのはうちだけじゃないかと思いますよ。日本で刊行されている雑誌の中で最も古い部類に入る雑誌ですよ」

1902(明治35)年の創刊で、雑誌コードはもちろんない。日本のリトルプレスの先駆けですねと、地元ならではの出版物を高木は誇った。

本屋は小さな数字の積み重ねである

高木には大切にしている二宮の教えがある。それは「道徳のない経済は犯罪である、経済のない道徳(理想)は寝言である」という言葉だ。

この教えを実践するかのように、高木は店の前や周辺の掃除を欠かさず、日曜日の休業日には裏の空き地の草刈りをする。掛川の人たちが敬愛する二宮の道徳観に倣いながら掛川の地域社会で自分の人生観や倫理観に基づいて選んだ本を取り揃え、本を商う、それこそがこの町に本屋が存在する意味なのだと高木は信じていた。

三宅玲子『本屋のない人生なんて』(光文社)

商売というものについて考えさせられた場面があった。「ほんわか俳句大賞」について説明を受けていたときのことだ。原稿を書く際の資料として小冊子を持って帰りたいと思い、私は何気なく「これ、一部いただけますか」と言った。すると高木は笑顔でこう返した。

「差し上げるのはかまいません。でもね、これ、本当は1部200円で販売しているものなんですよ」

私は軽々しく資料として持ち帰ろうとしたことが恥ずかしかった。本を売る実業とはこのような数字の積み重ねなのだと高木は私に教えていた。こうした数字のひとつひとつを疎かにしないことの先に本屋を植える仕事はある。

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