店舗運営が評価され、順調に昇進していくが…

早朝にアルバイト社員のシフトを組むと人件費がかさむため、残業代のつかない高木が朝7時半に早出して商品の開梱作業をした。午後10時に閉店してから決算書の書き方や損益貸借表の見方など、経理と財務を中心とした経営実務の実用書を読み込んだ。必要に迫られて経営を独学したこの時期に高木がつくった店舗管理表は、フランチャイズ店だけでなく本部が運営する全店で採用された。

入社4年目には店舗運営の実績が評価され、静岡市にある本部直営の本店リニューアルメンバーとして逆出向した。大抜擢のこの人事で文芸書の責任者として勤務し、1年を終えると掛川市に開店した新店舗の店長をかけもちすることになった。さらに本部の直営店を含む地域のエリアマネージャーを兼任し、所属する会社と本部の両方から給料が支払われた。

しかし高木は本部の経営者の経営方針を支持できなかった。経営者は2000年代になると県外への出店とフランチャイズ展開を強化して拡大路線へと突き進み、異議を唱えた高木の立場は微妙なものになっていく。

本屋のない地域に、本との出会いの場所を

「愚直」という言葉がぴったりの高木のことだ。直言を厭わなかっただろうし、そこには経営者にとって耳の痛い指摘も含まれていただろう。最後の4年間は本部の社長と会うことがかなわなかったと話したとき、高木は少し苦しげな表情を浮かべた。会社員としての最後は必ずしも納得いくものではなかったようだ。

フラストレーションを発散するかのように、高木は休日になると子ども向けの読み聞かせボランティアの会に加わった。そして、読み聞かせに出向いた町での教え子とのほろ苦い再会が、「走る本屋さん」の活動へ高木を駆り立てることになる。

活動の原点は何かと問われれば、まりや書店で出会った本に、人生の苦しいある時期を支えられた体験だと高木は答える。本屋に支えられ、救われたという思いが高木にはある。まりや書店がなかったら今自分は生きていなかったかもしれないと思うと、本屋のない地域で暮らしている子どもたちに対してすまない、どの子どもたちにも、自由に本に出会うことのできる場所があってほしい、という思いが強くなる。