「目の前には真っ青な海が果てしなく広がっていたのだ。……
あくる朝、私は誰かが扉をたたく音で目を覚ました。扉の外には片足を怪我した真っ白なカモメが一羽、今にも潮に流されそうになって浮かんでいた。私はカモメを一生懸命に手当てした。その甲斐あってか、カモメは翌日元気に、真っ青な大空ヘ真っ白な羽を一杯に広げて飛び立っていったのであった。
それから怪我をした海の生き物たちが、次々と愛子の診療所ヘやってくるようになった。私は獣医の資格を持っていないながらも、やって来た動物たちには精一杯の看護をし、時には魚の骨がひっかかって苦しんでいるペンギンを助けてやったりもした。愛子の名は海中に知れ渡り、私は海の生き物たちの生きる活力となっていったのである。
……今日も愛子はどんどんやって来る患者を精一杯看病し、沢山の勇気と希望を与えていることだろう」
皇室の比喩としての「診療所」
色彩感覚の鮮やかさに加えて、何とも意味深長な作品ではあるまいか。
もちろん、この作品を書かれた当時の敬宮殿下ご自身は意識しておられなかっただろうが、ここで描かれている「愛子の診療所」「海の上の診療所」は、皇室そのものの比喩として読むことができるのではないだろうか。
皇室は憲法上、国政に関する権能を持たれない。したがって、予算配分とか法整備などを伴う手段では、国民に利益をもたらすことはできない。
しかし、ややもすると社会的な強者に有利に傾きがちな政治や法律から、こぼれ落ちてしまうような国民の窮状にまなざしを向け、誠心誠意寄り添い、心情的・精神的に手を差し伸べようとして下さる。そのことは国民にとって、少なくない励ましや安らぎ、癒やしを与えてくれるのではないだろうか。
それが、リアルな地上の診療所ではない、ファンタジックな海の上の診療所を連想させる。
しかし、これを中学1年生の作文として読むと、陸地から遠く離れ、周りに人が誰もいない海上で、たった一人で懸命に「海の生き物たち」を看護する姿は、いかにも孤独・孤高な印象を拭えない。
とくに「獣医の資格を持っていないながらも」というあたり、現在の皇室典範のルールでは天皇・皇后両陛下のお子様として生まれながら、ただ「女性だから」というだけの理由で皇位継承資格を認められず、ご結婚とともに皇室から離れなければならないご自身のお立場が、無意識のうちに下敷きになっているようにも思える。
それでも、「海の生き物たち」=苦しみ、悲しむ者たちを救わないではいられない、敬宮殿下の天性のお優しさがにじみ出た作品と言える。