「空が青いのは当たり前ではない」
その「深き念ひ」を綴られた作文の一部を、いささか長めの引用になるが、ここに紹介させていただく。
「卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待ってくれていること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心から中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。
原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで七十一年前の八月八日、その日その場に自分があるように思えた。……これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。……
最初に七十一年前の八月八日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。本当に原爆ドーム落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。……
平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々『平和』『平和』と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。
何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活でできること、争いごとなく安心して暮らせることも当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切の一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから『平和』は始まるのではないだろうか」
上っ面だけをなぞるようなステレオタイプの観念的「平和」論とは一線を画した、本気の平和への思考の片鱗がここには確かにひらめいているのではないだろうか。中学3年生とは思えない知性以上に、その真剣さ、ひたむきさに心を打たれる。
昭和天皇、上皇陛下の平和への思い
顧みると、平和を重んじられることはすでに長い皇室の伝統と言える。たとえば、在位中に先の大戦を経験された昭和天皇はご生前、最後に迎えられた「終戦記念日」の御製で次のように詠まれていた(昭和63年[1988年])。
やすらけき
世を祈りしも
いまだならず
くやしくもあるか
きざしみゆれど
平和を願いながらそれが十分に実現しない悔しさを率直に訴えられていた。