平安人は「運命は星に支配されている」と信じていた
それにしても、なぜ人の生死を司る泰山府君が星の信仰と結びつくのか。ここに見えてくるのは、個人の運命は「星」に支配されているという信仰だ。それは本命星とか属星という考え方である。人の生まれた干支を五曜星(火・水・木・金・土)に配して、その星が一生の善し悪しや寿命を司るとみなすものだ。
さらに古代中国の道教系の思想では、北斗七星が北極星とともに人の生命を司る司命星とされる信仰が生まれ、「本命星」を北斗七星のなかの星に配当する信仰もある。人は生まれ年の干支から北斗七星のいずれかの星に属しているとされるのである。その信仰は、陰陽道の基本図書とされた『五行大義』のなかにも定められている。以下のようになる。
廉貞星 辰・申年
巨門星 丑・亥年
武曲星 巳・未年
禄存星 寅・戌年
破軍星 午年
文曲星 卯・酉年
ここから人の生まれ年による「属星」という考え方が定まり、延命長寿のために、自分の属星を祈る北斗七星祭祀も生まれていったのである。
かくして泰山という山=冥府は、一気に宇宙空間へと上昇していく。人間の寿命、運命を支配している天体の星の世界と「泰山」とが重ねられていったのだ。干支による生まれ年の選定、そして天体の星の世界との結びつき。それは天と人との相関関係を前提とする陰陽道の思想にとって、もっともふさわしい世界観といえよう。
運命の「星」を見る陰陽道が個人救済の宗教として成熟
もう一度いえば、平安時代前期までの陰陽寮の「天文」は国家の運命を占う国家占星術であったが、ここではそれに加えて個人の運命を司る「星」の姿が浮かび上がってくる。それもまた、陰陽道が個人救済の宗教として成熟していく過程といえよう。晴明が開発した泰山府君祭は、そこにリンクしていくわけだ。
そして晴明は若き時代、「天文生」として夜空を見上げ、星の動きをチェックする、まさに「星を観る人」“スターゲイザー”であった――。
平成15年(2003)の夏の夜空は、ひときわ赤く輝く火星を見ることができた。火星と地球が5万7千年ぶりに最接近した年であったからだ。そしてその年の9月には、火星と月が並んで見える「ランデブー」の天体ショーが、多くの天文ファンを楽しませた。
けれども、1千年まえの安倍晴明にとっては、月と火星が並んで見える現象は、禍々しき火星=熒惑星が月を犯す、とてつもなく不吉な出来事であったのだ。1千年まえならば、それが何の予兆かを古代中国の占星術書にもとづいて占い、天皇に秘かに上奏しただろう。