※本稿は、斎藤英喜『陰陽師たちの日本史』(角川新書)の一部を再編集したものです。
安倍晴明が創出した「陰陽道」とは何か
テレビや映画、小説、マンガでも大活躍する陰陽師・安倍晴明の名前は、いまや知らない人はいないだろう。平安時代で知っている人の名前は? という質問に「安倍晴明」と答える中学生も多いという。
けれどもその歴史的な実像を知っている人は、そういないだろう。彼はあまりに伝説に包まれた、神秘的なイメージが強いからだ。しかし安倍晴明とは平安時代の有名な人物たち、藤原道長や紫式部、清少納言たちと同じ時代を生きた実在の人物であり、「陰陽道」なるものの創出も、じつは安倍晴明と深い関係があったのだ。
陰陽師・安倍晴明が繰り広げた陰陽道の祭祀、占い、呪術の現場へと迫ってみよう。
物語のように貴人に仕掛けられた呪詛を祓っていたのか
呪詛、呪い、調伏……。その言葉を聞くだに身の毛もよだつような禍々しく、おぞましい禁断の呪術は、安倍晴明をめぐるエピソードには欠かせない話題であろう。もちろん、物語や説話のなかの晴明は、呪詛を仕掛けられた貴人の身を守り、呪詛を祓う役回りだが、では同時代の史料のうえでも、そうした晴明の活動は見いだせるのだろうか。また呪詛を除去し祓う儀礼はどのように行われるのだろうか。
たしかに晴明が仕えた藤原実資や道長といった貴族たちの身辺で起きた呪詛事件(とくに道長には)は、多数確認されている。一方、呪詛祓えについては、清少納言『枕草子』の「すそのはらへ……」が有名なところ。陰陽師が賀茂川(鴨川)の河原に下りて呪詛の祓えを行っているのは、貴族たちにとって日常的な風景であったのだろう。
晴明も天延2年(974)6月に「河臨御禊」に携わった記事があるが、これは典型的な呪詛祓えであったようだ。また寛和元年(985)4月19日に、藤原実資の妻の産期が過ぎたのに出産の兆しがないので、晴明が「解除」という儀礼を行っている。出産が遅れている場合は、呪詛の可能性があった。生まれた子が女子ならば天皇のもとに入内し、父親が外祖父になる可能性があるからだ。権力者の出産は、きわめて政治的な意味をもつのである。