シンガポール行きか、新たな挑戦か
38歳でGMに就任して3年半、一つの転機が訪れることになります。日本のヘッドオフィスはこれまで日本にあったのですが、それをシンガポールに移す、という会社の方針が決まったのです。
GMの役職にある以上、シンガポールに行かなければなりません。行くか行かないか悩んでいるときに、もともと持っていた思いが頭をもたげてきました。
伝説の外資系トップと呼ばれ、ジョンソン・エンド・ジョンソンなどで社長を務めた新将命さんの著書に、こんな記述があったのです。
なるほど、10年ずつで3社ほどキャリアを積むのはいいな、とおぼろげに考えていた時期があったのでした。ところが、気づけば、P&Gに18年。私自身は、そんなに長くいるつもりはなかったのです。
ただ、医薬品、紙製品、化粧品、ホームケア、ランドリー、セールス部門など、さまざまなカテゴリーを見ることができたのは、とても幸運でした。会社は替わらなくても、ブランドを替わることで、新しい経験も積めたし、モチベーションも高めることができました。
2008年夏に退職、リーマンショックが世界を襲う
しかし、すでに役職はさまざまなカテゴリーをまたぐGMです。おそらく、次のポジションは、別のカテゴリーのGMか、もしくはカントリーマネジャーでした。
しかし、私にとってはそれらのポジションは今までやってきたことの延長線上で、もっと新しいチャレンジをしたいという気持ちが大きくなっていました。そこでP&Gを卒業することにしたのです。
日本のP&G本社は当時、神戸にありました。次の会社を関西で探すのは、おそらく難しいものになるだろうと思いました。選択肢が限られるからです。そこで、充電期間を少しとる目的もあって、転職先を決める前にまずは東京に移り住むことを決めました。
退職したのは、2008年夏。その後、リーマンショックが期せずして世界を襲います。すべての外資系の会社のリクルーティングが半年間ほどストップし、私は雇用保険をもらうために渋谷のハローワークにも通うことになりました。希望の年収を聞かれ、P&G時代の年収を答えたら「桁を間違えていませんか」と苦笑されたのを覚えています。
一度はゴルフ関連の会社に就職したのですが、さまざまな理由により、約半年で退職し、以前からヘッドハンティングの声がかかっていた会社に行くことを決断しました。
それが、日本コカ・コーラでした。