P&G出身者は「P&Gマフィア」と呼ばれることがある。いろいろな企業で活躍しているからだ。元P&Gジャパンジェネラルマネジャーの和佐高志さんは「そのベースになっているのは“ブランドマネジメント制”だ。20代で3つくらいのブランドやカテゴリーを担当することになるため、30歳ほどで3社経験しているような状態になる」という――。

※本稿は、和佐高志『メガヒットが連発する 殻を破る思考法』(ダイヤモンド社)の一部を再編集したものです。

たくさんの上向きの矢印の中にいる人
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P&Gできわめて幸福なキャリアを築くことができた

P&Gで、私はきわめて幸運なキャリアを築くことができたと思っています。「コーラック」や「ウィスパー」に始まり、「マックスファクター」「SK-II」を成功させ、マーケティングからセールスへと2階級昇進を果たしました。その後は、「ジョイ」や「ファブリーズ」などホームケアを管轄し、「アリエール」などランドリーカテゴリーを管轄した後は、38歳でマーケティング、営業企画、ファイナンス、R&D、生産統括(工場)、法務、人事などのすべての部署を管轄するジェネラルマネジャー(GM)に就任することになりました。

担当カテゴリーは「SK-II」を除く、すべてのスキンケアブランドと「マックスファクター」の化粧品、「ウィスパー」、そして石鹸の「ミューズ」と幅広いものでした。その結果、私はアメリカにあるP&Gシンシナティ本社の4人のグローバルプレジデントが上司になり、各カテゴリーのPLや利益をレポートすることになりました。

ほぼ毎週この4人のプレジデントと、時差の関係で夜9時から深夜までテレビ会議をし、昼間は日本のメンバーたちと仕事をする超過密な生活をしていました。

日本法人に5人しかいないGMになれた

P&Gはグローバルで「トップ30マーケティング」を毎年、選んでいました。全世界で30人、マーケティングで高いポテンシャルを持った人材をチョイスするのです。この「トップ30マーケティング」に選ばれた人しか、基本的にGMにはなれないと言われていました。GMはきわめて限られた役職で、グローバルの人材プールの中から選ばれていたのです。

なぜ私がこんなに若くして、日本法人に5人しかいないGMという役職の一人になれたのか。それは端的に言えば、結果を出すことができたからです。

自分で言うのもなんですが、特に「マックスファクター」「SK-II」、ホームケア、ランドリーなど、担当したカテゴリーは、すべて大きく数字を伸ばしたのです。

「マックスファクター」は松嶋菜々子さんというブランドキャラクターを熱意で獲得しました。ビューティケアの販売企画、カウンセリング部長時代には他部門のメンバーと協同して、シンガポールエアラインのサービストレーニングとして行われているSQトレーニングを、数億円かけて2000人すべてのビューティカウンセラーに受けてもらい、サービスの基本を徹底的に学んでもらいました。肌の下に隠れているシミやしわを、シミュレーションで肌診断し、将来の美肌を手に入れる「SK-II」独自のカウンセリングシステムを導入しました。