この点について、ハワイ作戦当時、軍令部第一(作戦)部長の地位にあった福留繁は、「固より油槽も工廠施設軍事目標であることは万々承知しており、攻撃計画に当っては一応も二応も検討した」が、それらを叩けば非戦闘員に被害が生じ、戦時国際法違反になることを恐れて、「直接の戦力たる艦船及び航空機に対する攻撃に専念することに定めた」と、回想録で釈明している(福留繁『史観・真珠湾攻撃』)。
いずれにしても、連合艦隊・機動部隊ともに、真珠湾攻撃の目標はアメリカ戦艦部隊と認識・準備していたのである。
その結果、仮に現場が第二撃を実行すると決断したとしても、充分な打撃を加えられるとの保証はなかった。また、当時機動部隊が有していた艦載機はすべて単発機であり、爆弾搭載能力には限界があった。奇襲の衝撃から立ち直り、対空防御を固めつつある米軍を攻撃するというリスクに見合うだけの戦果、すなわち、燃料タンクと海軍工廠の破壊を達成できるだろうか。
こうして考察してみれば、真珠湾の第二撃は計画もされていなければ、その用意もなかったと結論づけてもよかろう。
真珠湾攻撃の目的は後退したけれど…
連合艦隊司令長官山本五十六は当初、真珠湾攻撃を戦争そのものを決する戦略的打撃たらしめることを企図していた可能性があるが、日本の国力からすれば、かかる規模の作戦実施は無理だった。
最終的には、真珠湾攻撃の目的は、米太平洋艦隊主力の撃滅とそれによる南方侵攻の側背掩護に後退した。しかし、そのかぎりにおいては、連合艦隊、なかんずく機動部隊は、与えられた任務を完璧に達成したといえよう。それ以上でも以下でもない。