基地機能をマヒさせ、ハワイ上陸・占領も構想
こうした文言から、山本は当初、空襲のみならず、潜水艦部隊の攻撃で敵艦を港口で撃沈し、真珠湾を閉塞して、その基地機能をマヒさせるという、実際の真珠湾攻撃以上の大規模な作戦を考えていたのではないかと推測できる。
山本が、連合艦隊司令長官から格下げになってもいいから、自ら機動部隊の長となってハワイ作戦を指揮したいと切望したこと、また、攻撃直後に上陸作戦を敢行し、真珠湾を占領できないか(海軍施設を押さえ、多数の将兵を捕虜にしてしまえば、米太平洋艦隊は行動できなくなるとみたのである)と口にしたことなども、かかる仮説の裏付けとなろう。
おそらく、これほどの打撃を与えれば、アメリカ国民の士気をくじき、開戦初日に勝敗を決する可能性もないわけではないと、山本は夢見たのではなかろうか。けれども、日本の国力や組織の硬直は、その願望が現実となることを許さなかった。
ハワイ占領に必要な陸軍部隊を運ぶ輸送船は、南方攻略だけで手一杯で、とても真珠湾侵攻を実行する余力はなかった。何よりも、空母機動部隊のみならず、輸送船団まで出してしまえば、真珠湾への途上で発見される可能性も高くなる。機動部隊の直率も、日米戦争の連合艦隊司令長官は山本以外になしという、当時の海軍における彼の威望からすれば、問題外だった。
開戦第一撃でアメリカに致命傷を与えるはずが…
さらに、ハワイ作戦の準備が進むにつれ、機動部隊の給油問題、浅海面魚雷や徹甲爆弾の準備など、さまざまな問題が露呈し、山本が構想したような大規模な作戦は実行不能であることも判明した。
そのため、山本も開戦第一撃でアメリカに致命傷を与えることをあきらめ、短期間に連続的な打撃を加えることで講和に追い込むと、考えをあらためたように思われる。
結果として、真珠湾攻撃の企図と目標はスケールダウンした。昭和十六年十一月五日付に山本が下達した「機密連合艦隊命令作第一号」には、「開戦劈頭、ハワイに米艦隊を奇襲撃破し、その積極作戦を封止」すると記されている(前掲『戦史叢書 ハワイ作戦』)。
このように、山本の企図は「米国海軍及米国民をして救うべからざる程度に、其の志気を沮喪せしむる」という積極的なものから、真珠湾の米艦隊を奇襲撃破することに縮小された。その背景には、実際に真珠湾攻撃の準備を進めるうちに、初動で米国民の継戦意志を粉砕するだけの戦力をととのえることは不可能と判明したことがあると思われる。