第二撃は可能だったか

かくのごとく、港口閉塞やハワイ上陸をともなう一大攻勢には程遠い作戦となったが、昭和十六年十二月八日、真珠湾攻撃は決行された。空母六隻から発進した航空隊は奇襲に成功、米太平洋艦隊の主力は撃沈・撃破され、所在の航空機三百数十機が撃墜、もしくは破壊されたのだ。

山本五十六・連合艦隊司令長官
山本五十六・連合艦隊司令長官(出典=国立国会図書館「近代日本人の肖像」)

かかる成功にもかかわらず、この戦闘の敗者となったアメリカの側からも、また日本側からも、なぜ第二撃を加えて戦果を拡張しなかったのか、第三次攻撃(第一撃は、第一次・第二次の二波に分かれて実行された)をかけて、真珠湾の海軍工廠や燃料タンクを破壊するべきだったとの批判がわきおこった。それを行なっていれば、真珠湾は海軍基地としての機能を失い、米太平洋艦隊は米本土西岸の諸港に退避せざるを得ず、以後の作戦に大なる支障をきたしたはずだというのだ。

この批判は、はたして当を得たものなのだろうか。近年の研究成果をみるかぎり、多くは否定の方向に傾いている。

イギリスの歴史家H・P・ウィルモットに、日本の等松春夫とうまつはるお防衛大学校教授とアメリカの元海軍軍人W・S・ジョンソンの協力を得て、真珠湾攻撃に再検討をほどこした著書がある。

その第二撃問題を扱った箇所をみると、日本機動部隊の随伴駆逐艦の積載燃料、再給油に要する時間、損傷機数と種類、再攻撃に使用できる機種と機数、地上目標を爆撃するための大型爆弾の有無などを仔細に調査した上で、第二撃を実行すれば、大きなリスクがあったろうと結論づけている。したがって、第一撃のみで引き揚げた日本側の指揮官南雲忠一なぐもちゅういち中将の判断は適切だったというのが、ウィルモットの評価だ(H. P. Willmot with Tohmatsu Haruo and W. Spencer Johnson, Pearl Haborr)。

計画なし、用意も無し

この指摘に加えて、日本側は真珠湾攻撃が失敗した場合の対応については検討していたものの、成功した場合の戦果拡張、ましてや地上の燃料タンクや海軍工廠攻撃など、まったく考えていなかったし、その準備もしていなかったことを強調しておきたい。

関連する命令をみても、たとえば前出の「機密連合艦隊命令作第一号」には、「空襲終了後、内地に帰投、整備補給を行う」とあるだけだし、南雲艦隊の作戦実施要領を示した「機密機動部隊命令作第一号」(昭和十六年十一月二十三日付)にも、「空襲終わらば飛行機を収容し、全軍結束を固くして、敵の反撃に備えつつ高速避退」すると書かれているだけなのである(前掲『戦史叢書 ハワイ作戦』)。