1941年12月8日、旧日本海軍の真珠湾攻撃で、日本はアメリカとの戦争に突入した。作戦を指揮した山本五十六は、当初、アメリカとの戦争に反対だった。なぜ山本は「必ず負ける戦争」を実行したのか。現代史家・大木毅さんの新著『勝敗の構造 第二次大戦を決した用兵思想の激突』(祥伝社)の一部から、真珠湾攻撃の狙いを紹介する――。
対米戦必敗論者だった海軍軍人・山本五十六
ハワイ作戦の実行者である山本五十六は、対米戦争についてどのようなスタンスを取っていたのか。そして、いかなる思考経路を経て、真珠湾攻撃の決断に至ったのだろうか。
山本が連合艦隊司令長官になる以前、海軍次官を務めていたころから、対米戦争を引き起こしかねないドイツ・イタリアとの軍事同盟に猛反対したことはよく知られている。だが、ドイツがヨーロッパにおいて輝かしい勝利を続けるのをみた政府は日独伊三国軍事同盟締結に意欲を示し、日本海軍も、枢軸側に加われば米英も手出しはできず、かねて切望していた南進が可能となると積極的になった。
この動きはとどめがたく、昭和十五(一九四〇)年九月二十七日、ベルリンで日独伊の三国条約が調印される。それによって、日本は独伊に与し、米英を仮想敵とするとの姿勢を鮮明にしたのである。当然のことながら、日米関係は急速に悪化した。さらに昭和十六年に実行された南部仏印(フランス領インドシナ)進駐はアメリカをいっそう硬化させ、在米日本資産の凍結令、対日石油禁輸決定と、矢継ぎ早やにドラスティックな措置を講じてきた。
石油を止められれば、日本は亡国の道を歩むしかない。そうなる前、まだ抵抗することができるうちにアメリカとの戦争に突入すべきだとの声が高まる。対米戦必敗論者である山本としては看過しがたい事態であったが、同盟政策や戦争決意は、現場のトップである連合艦隊司令長官の職掌ではなく、ただ非公式のルートを通じて、日米戦争不可なりと意見具申するほかなかった。