「会いたくもない人と会う」のは時間のムダ

家族や親族だけではない。「地元のつながり」もまた、帰省の遠さを感じさせる。

昔を懐かしんで、今の様子を伝え合う。人生がうまくいっていると思えるのなら、楽しい時間である。自慢にはならなくても、お互いに肯定し合い、心地よい時を過ごせる。

けれども、そういった人ばかりではない。映画化された、山内マリコの小説『あのこは貴族』で描かれているように、故郷での同窓会は、決して愉快なだけの集まりではない。

いくらでも連絡手段があり、オンラインならいつでも会える以上、わざわざ帰省して会うのは、コスパだけではなく、何よりタイパが悪い。

会いたくもない人と会う、それは、コストだけではなく、何よりも時間の無駄だともとらえられるからである。

コスパもタイパも悪い。しかも、まだまだ新型コロナウイルス感染症への懸念は消えていない。

そうなれば、わざわざ帰省する必要など、どこにもないと考えても仕方がない。

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「都会で生活する人」特有の無理解な言い分

だからこそ、今こそ帰省を見直すべきなのである。

親が鬱陶しいとしても、親戚を無神経だと感じるとしても、あえて今、帰省を見つめ直したい。地元の友人を面倒だと感じるところに、いつもは会わない人たちと接する貴重な機会を得られるところに、帰省の意味があるからである。

都市部、とりわけ東京圏への人口が集中するにつれ、会社や学校、地域以外の人たちとは接点を失っているからこそ、帰省の価値が出てくるのではないか。

なるほど、帰省するだけではお互いの理解を進められないかもしれない。嫌いな親戚に会った結果として、以前よりも余計に属性が異なる人たちへの違和感を覚える可能性もある。

もとより、帰省を嫌々ながら無理やりする必要は、どこにもない。

けれども、そういう主張こそが、まさに「都会で生活する人」特有の無理解な言い分なのである。