友人と良好な関係を保つにはどうすればいいのか。オックスフォード大学名誉教授のロビン・ダンバー氏は「3年会わなければ、かつての親友もただの知人になる。学生を対象にした実験では、継続的に会う努力をしないと『親近感』はわずか数カ月で減りはじめ、1年後には平均で約15%も減少していた」という――。(第1回/全2回)

※本稿は、ロビン・ダンバー『宗教の起源――私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』(白揚社)の一部を再編集したものです。

背中合わせの2人のイメージ
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なぜサルは「毛づくろい」を大切にするのか

サルと類人猿――ヒトも類人猿と同じ科に属する――は集団生活をするが、それはほかの哺乳類や鳥類のやりかたとは大きく異なっている。事実それは「暗黙の社会契約」と呼べるもので、集団は捕食者や近隣集団といった外的脅威から構成員を守るために存在する。集団防衛といってもほとんどの場合消極的で、積極的に戦う必要はない。捕食する側(ヒトを含む)も、大集団にわざわざ攻撃をしかけないからだ。

いっぽう鳥類と哺乳類のほとんどは、捕食者の脅威があると一時的に寄りあつまるが、脅威が去ったら解散する。次の危機まで自由行動だ。集団を形成する「誰か」がいればいいわけであって、おたがい誰かは知らないし、たいていは気にしない。

対照的に、霊長類の集団はたがいにつながりを持ち、ほかの構成員が誰であるかが重要だ。そのため、おたがいを見失わないよう多大な努力を払う。知らない者が集団に入ってくると疑ってかかるし、外的脅威には力を合わせて立ちむかう。この団結力は、おたがいに毛づくろい(社会的グルーミング)を繰りかえし、絆を結んで維持することに多大な時間をかけた結果だ。

この結束の過程は、宗教の進化を説明するうえで不可欠な部分なのだが、これは次章で取りあげる。いずれにしても、こうした団結した集団はほかの哺乳類や鳥類がつくるその場かぎりの集団とは性格が大きく異なる。霊長類並みに社会性が強い集団をつくるのは、一雄一雌でつがいになる多くの鳥類や小型哺乳類だけである。ただしサルや類人猿の場合、50頭かそれ以上の集団でも緊密な関係をつくり、維持することができるといったちがいがある。

社会集団の大きさは脳の大きさが決める

ただし集団の接着剤となるのは、社会的グルーミングだけではない。集団が保護連合として機能するのは、各自が集団の全員を知っていて、よく理解しているからだ。動物界のなかで霊長類の社交性が際立っているのは、この認知に関わる部分のおかげだ。そこに着目したのが社会脳仮説である(*4)

脊椎動物の脳は、ときに不利な状況でも生存の可能性と生殖の成功率を最大化するために、環境に効果的に関われるように進化してきた。とはいえ霊長類では、ゾウやクジラといったほかの動物にくらべると、身体の大きさに対して脳が極端に大きい。それは、動的で複雑な結束社会集団で生きていくのに必要な計算力を身につけたためだろう。

霊長類の社会集団に高度な計算力が求められる理由のひとつは、ほかの構成員とのやりとりが、無名の個体が集まった群れとはちがい、単純な一対一の関係ではないからだ。じゃまだからあっちへ行けと脅そうものなら、当事者間の問題ではすまない。結束集団では友人も家族もいて、ひとたび攻撃されれば脅された側の全員に波紋が広がる。

彼らは助っ人に駆けつけて、将来に備えて自分たちの地位を守ろうとするだろう。同時にそれは、争いの収集がつかなくなり、構成員が集団を出ていくという事態を防ぐための取り締まりの役目も果たしている。この状況は、集団が大きくなるほど指数関数的に複雑の度を増すので、種の典型的な集団規模に比例して脳も大きくなる。こうして社会脳仮説が誕生した。