知人は500人、ただの友人は150人、親友は…

ここまでは一般論なので、もう少し具体的に説明しよう。何気なく観察していると、私たちは社会ネットワーク内の友人や家族を全員同じように評価しているわけではなく、親友、良い友人、ただの友人などと、かなり明確に区別していることがわかる。会ったり電話をかけたりする頻度と、相手との感情的な近さを分析すると、ネットワーク内の150人がかなりはっきりとした同心円を形成している。それぞれの円に入るのは、累計で、親友が5人、かなり親しい友人が15人、良い友人が50人、ただの友人が150人である。

図表1に示したように、同心円はさらに広がって、知人が500人、顔と名前が一致する人が1500人、顔がわかる人が5000人となる(*7)。オンラインのマルチプレイヤーゲームや、フェイスブックのやりとりでもまったく同じ構造になる。外側二つの同心円(1500人と5000人)に入るのは、個人的につきあいがあるというより、メディアを通じて知っている、あるいは町でよく見かける人がほとんどだろう。

図1 個人の社会ネットワークの同心円構造
出所=『宗教の起源――私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』
図表1 個人の社会ネットワークの同心円構造。各同心円の数字はすぐ内側の円との累積になる(*8)。中心の円の1.5は「親密な相手」の数。多くの場合1人(恋人のことが多い)だが、人によって2人のこともあるため、1.5人になっている

「ただの友人」に使う時間は1日30秒足らず

注目してほしいのは、同心円内の人数が外側に向かうにつれてほぼ3倍で増えていくことだ。なぜこんなにも一定の割合で増えるのかはわからないが、この傾向はあらゆるデータセットに見られるし、さらには人間以外でも、チンパンジーやヒヒ、イルカ、ゾウなど複雑な社会で生活する動物の社会の階層構造にも当てはまる(*9)

この同心円構造の重要な特徴は、接触頻度と親近感、助力意欲に対応していることだ。お返しを期待することなく助けたい気持ちは、外側の円よりも、150人までの円の内側にいる人たちに対してのほうがはるかに強い。さらに150人のなかでも、どの層にいるかで利他行動の度合いは変化する(*10)。逆にいえば、私たちは中央の円にいる人たちに対して、必要なときに助けてもらえることを期待しているし、外側の円にいる人たちにはそんなことは期待しない。

それを確実にするために、私たちは社会的な努力の多くを中央の円にいる人たちに集中させる。1日のうち社会的交流に使う時間は平均3時間半だが、その約40パーセントは同心円の中心の5人に、60パーセントは次の同心円の15人に費やすのだ(*11)。あとのわずかな時間は、残り135人に薄く広く分配しなければならないので、1日あたり平均30秒足らずになる(*12)