思ったより高かった言葉の壁
あるときのミーティングで、発言者から少し距離はありましたが、翻訳機が辛うじて拾った言葉を、その場でまったく関係もなく意味もわからない「彼があるとき妊娠した」という言葉に訳した瞬間、笑ってしまったのと同時に「これはアカンわ。使いもんにならん……」と諦めました。
そうすると自力で何とかするしかないのですが、すぐに英語が覚えられるわけではない……。ここではほとんど使いものにならない翻訳機を使いながら、少しだけの会話を成立させていく。そんな練習生活を送っていました。
日が経つにつれ、だんだんとそれも限界を感じるようになっていき、僕は辛い日々に陥ってしまったのでした。あの大成功とも言えるプレゼンを終え、次の日からコーチ陣の僕に対する見る目は明らかに変わりました。若い投手コーチから質問を受けることも増えてきて、「やっとコーチとしての充実感が得られるようになって嬉しい!」と思えるようになったのですが、それも束の間、やはり言葉の壁が僕を思うような道には進ませてくれません。
頼みの綱だった翻訳機はあまり使えない。そして頼りになる通訳ヒロ君は、メジャーのキャンプが始まったので、本来の役割である有原投手の通訳をしなくてはいけません。練習中に僕のそばにいることはできないのです。
コミュニケーション不全が引き起こした障害
そうこうするうちに、練習試合が近づきコーチ陣たちは忙しくなり、次第にほかのコーチと会話することも少なくなってしまいました。もちろんロッカーなどでの日常会話はあるのでずっと淋しいというわけではありません。しかし、海外で日中のほとんどを誰とも話さず、グランドで見ているだけの日々を想像してみてください……。
最初の頃は、新しいことばかりで新鮮に感じ、退屈はしませんでした。しかし3週間も経つと環境に慣れてきて、見ているだけでは物足りなくなってきます。僕は正式なコーチでなく研修扱いで、与えられる仕事はなく、ほとんどずっと見ているだけの状況が続くのです。
ほとんど誰とも話せない、話さない状況が1週間程続くと、いろいろなことが頭を駆け巡るようになりました。
「自分はここまで来て何をしとるんや……」
「いろいろと知ることはできたけど、これから先は何が得られるんやろう」
「収入がなくなる道を選んでまで、ここに来た価値はあるんか?」
「何もできずに過ごしとるけど、いまの無給の俺は、日本で給料をもらっとる状況を想定したら実質1日いくら損をしてここにいるんやろう」
「家族に迷惑かけてまでここに来て、この日々は意味があるんか?」
「この状況があと7カ月程も続くことに耐えられるんか?」