過去の栄光を捨て、新たな道に挑戦することの苦労や面白さは何か。東京五輪金メダリストで東京農工大学大学院に在学する入江聖奈さんは「東京五輪後、プロになる気は一切なかったから、カエル研究の道に迷わず進んだ。大学院の人たちは違った角度からカエルの話が始まり面白くて仕方がない」という。鳥取大学医学部附属病院の武中篤病院長との対談をお届けする――。
※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 14杯目』の一部を再編集したものです。
「ヒキガエルと一心同体になりたい」
【武中篤(鳥取大学医学部附属病院長)】(満面の笑みで)お目にかかることができて光栄です。お恥ずかしい話ですが、オリンピックまで入江さんのことを知らなかった。女子ボクシングの知識もなかったんです。だから1回戦、2回戦は観ていません。
準決勝、決勝に進むうちに、米子の人だということで地元がすごく盛り上がってきた。ぼくもこんな人がいたんだって(笑)。決勝戦で勝った後、リングで跳びはねているのを観て、本当に嬉しかった。
【入江聖奈(東京オリンピック女子ボクシング金メダリスト)】お仕事お忙しい中、観てくださったんですね。ありがとうございます。
【武中】金メダルを獲った後、「ヒキガエルと一心同体になりたい」とか「ヒキガエルを理解してあげたい」とかおっしゃっていたじゃないですか? 最初、ギャグで言っているのかなと思っていたんです(笑)。
ところが入江さんのTwitter(X)を見ていると、真面目に勉強している。それでものすごく興味を持ったんです。生まれは、まさにとりだい病院のある米子市ですよね。
【入江】はい! 生まれる3日前(2000年10月6日)に鳥取県西部地震があったんです。お母さん曰く、その地震にびっくりして予定日よりも早く出てきたんじゃないかって。
【武中】やはり子どもの頃から運動神経は良かったんですか?
【入江】(少し首をひねって)走るのは早かったですけれど、運動神経は良かったかどうかは分かりません。原始的な運動は得意でした。
【武中】原始的な運動とは?
【入江】走るとか投げるとか(笑)。ちょっと複雑な動きが入るとダメな子でした。普通に元気で、少し気が強い女の子だったんじゃないですかね。