鉄が熱くなるかは誰にもわからない
一方、「熱い時に」というのは、文字どおり「熱い時」であって、鉄が熱くなるかどうかは分かりません。
例えば、「成長こそが君の幸せに繋がるんだ」といくら言っても、その言葉に熱くなるか、熱くならないかは、その人次第です。
そもそも成長したいと思っていない人からすれば、「成長こそが君の幸せに繋がるんだ」と言われてもピンと来ないでしょうし、その言葉に揺さぶられて、心が熱くなることもないでしょう。
熱くなるかどうかは分からない。でも仮に熱くなったとしたら、その時には、その人を叩いてあげればいい。「鉄は熱い時に叩け」という言葉には、そうした意味合いが込められています。
「北原さんって、けっこうドライですよね」
最近は、人からそのように言われてしまうことがあります。
たしかに僕の言動はドライに感じられるかもしれませんが、僕からすると「ただ熱ければいいというものではない」という考え方が前提としてあるのです。