「憧れの人と一緒に仕事がしたい」が夢から目標に変わる

以前、当連載で「夢」に関する私見を述べたが(「"世界に一つだけの花"というウソ」夢をあきらめる人生のほうが絶対に幸せだ)、そこでも触れたように、私は20代前半の頃から「いつか作家・椎名誠氏と一緒に仕事をしたい」という夢を持っていた。30代中盤あたりまでは、文字どおり夢のままだった。しかし、35歳のときに自著『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)が売れ、さまざまなメディアから取材を受けたり、寄稿を依頼されたりするようになる。そうした場面で「尊敬する人は椎名誠さん」「椎名さんから強い影響を受けた」と、私はしきりに口にした。

私は編集者なので、取材を申し込んだり、原稿をお願いしたりすれば、椎名氏と接点を持つことも可能だった。でも、私はあくまで椎名氏から仕事のオファーをもらうことを望んだのだ。

こうして椎名氏への思いを何度も公言するようになると、さすがに椎名氏の関係者が私の存在を知ってくれるようになる。ここまで来ると「夢」から「目標」にグッと近付く。2015年、椎名氏の初期作品である「青春三部作」のひとつ『新橋烏森口青春篇』が小学館から文庫で復刊された際、私のもとに「あとがき」と「帯」の執筆依頼が来た。このオファーは本当に、自分の人生で一番うれしかった仕事だ。その後も同氏が責任編集を務める雑誌に2回寄稿したほか、私のセミリタイア記念トークイベントではゲストとして一緒に登壇もしていただいた。

「直木賞を取る」といった非現実的な夢を追いかけなくてよかった、とつくづく思う。「椎名氏から仕事をいただく」という目標を持ち、目の前の仕事を淡々と積み重ねていったことが正解だったのだ。

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成功するきっかけは「誰かとの出会い」

マツコも「こんなことを実現したい」と具体的な目標を持ちつつ、「でも、今だってそれなりに幸せだし、楽しい」と現状を受け入れ、粛々と仕事に取り組んできたのだと思う。それが今回の「5時に夢中!」での発言につながったのではなかろうか。「奇想天外な夢なんていらない」と認識することが、実は成功に近付く秘訣ひけつなのかもしれない。

【「だから私、絶頂とかがよくわかんないの。流されるように生きてるから」】

→この発言も実に含蓄に富んでいる。結局、人生なんてものは理想のロードマップをいくら描いたところで、そのようにならないもの。成功した人物の評伝や自叙伝を読んだりすると、たまたまの出会いが契機となり、そこから一気に躍進するなんてことが少なくない。だから、とりあえずは行き当たりばったりでもいいので、さまざまな場所に首を突っ込み、そこでよい出会いを得て、「打席」に立つ機会を増やすべきなのだ。

成功するきっかけとはなにか。私は「誰かとの出会い」にしか見いだせない。いくらすさまじい剛速球を投げる投手がいたとしても、スカウトの目に留まらなければプロ野球には入れない。どんなに天才的プログラマーであっても、その能力にホレ込んで投資をしてくれたり、導いてくれたりする人物がいなければ、なかなか世には出られない。

マツコにしても、もともとは雑誌編集者だった。おそらく「将来、絶対にテレビで多数のレギュラーを獲得してやる」なんてことは考えていなかったはずだ。毎日、粛々と仕事にあたるなかでいろいろな出会いを得て、あるときテレビ関係者から「毒舌で正論を述べる様が痛快だし、ルックスもテレビ映えする」と評価され、徐々に活躍の場面を増やしていったのだ。「流されるように生きてるから」という発言の真意は、そういうことなのだと思う。