「夢」ではなく「目標」を持て、と主張する理由
→まったくもって、そのとおりである。「夢」というものは持てば持つほど、自分がそこに到達できない状況を歯がゆく、情けなく、そして苦しく感じてしまう。拙著『夢、死ね! 若者を殺す「自己実現」という嘘』(星海社新書)でも書いたことだが、私は人生において、「夢」ではなく「目標」を持つことが重要だと考えている。
「夢」と捉えている限り、それは願望のままで終わってしまう可能性が高い。まさに現実感のない夢物語として、到達不可能なものに留まってしまうのだ。しかし「目標」であれば、到達できる可能性は格段に高まる。地に足の着いた具体的な目標のほうが、あいまいで現実感に乏しい夢より、手にできる確率が上がるからだ。
これについてわかりやすいのがスポーツだ。大学の体育会の場合(とりわけ、野球やサッカーといったメジャースポーツの場合)、私立であれば入部者の大多数はスポーツエリートだ。そのため、国公立大学は総じて私立大学よりスポーツが弱い。「私は東大野球部に入って六大学野球で優勝する」とどんなに願ったところで、正直なところ、かなり無理筋といえる。これは「夢」だ。一方、「私の力で連敗を止める」であれば「目標」といえよう。
「自分が勝てる可能性」を冷静に見極める
そうした現実を冷静に見極めているのか、東大、京大、一橋大といった国立大学の体育会に入る学生には、合理的な考え方を持つ者が多い。「一般的に、大学生になってから始めることが多い競技に活躍の場を求める」という判断も、そのひとつだろう。京大アメフト部は社会人チームとの日本一決定戦・ライスボウルの常連だったし、東大も一橋大もそこそこアメフトは強い。また、東大のB&W(ボディビルディング&ウエイトリフティング部)は相当強い。なにしろこの競技は、自分ひとりの努力とストイックな食生活で強くなれる。そのほか、一橋の競技ダンス部は2021年に全国制覇を果たしているし、東大も一橋もボート部はなかなか強い。
「大学に進んだら体育会に入りたいが、他校とレベルが違い過ぎる競技で負け続けるのもイヤだな」と考える学生が、上記のような競技を選ぶのだ。「野球では名門私立には勝てないが、大学から始める人も多いアメフトやボート、ダンスであれば勝てるかもしれない」といった判断をする。これは実現可能性を冷静に見極めた「目標」である。
私が一橋大の学生だった1993年、「我が大学に日本代表選手がいる」という話を聞いた。その競技とは一体なにか。
まさかのカバディである。これが事実かどうかを日本カバディ協会に尋ねたところ「確かに1990年代前半、一橋の男子学生が日本代表でした」という回答を得た。本人に会ったことがないので真意はわからないが、彼には「あまり知られていないスポーツであれば、日本代表になれる可能性は高いはず」といった考えもあったのでは。もちろん、純粋にカバディが好きだったからこそ、高いレベルに到達できたのだと思う。そのうえで「選手層の厚い有名競技より日本代表に選出されやすい」ことも意識しながら、具体的な「目標」として努力したのだろうと想像する。
「日本代表」の称号は、相当インパクトが強い。就職・転職活動では強力なアピール材料になるだろう。ビジネスでも私生活でも、印象的な話題としてウケがいいはずだ。現役を離れてそれなりの年数が経った後も「日本代表経験がある」という実績を知れば、周囲から一定の敬意を抱いてもらえるに違いない。「母校に日本代表がいる」ということを知ったとき、私は「夢より目標」の重要性をより深く理解した。