信頼できる専属の契約縫製工場

ところが発売早々、壁にぶつかる。和江商事のブラジャーをつくっていた下着工場が、幸一の苦心して作った型紙を利用して横流しを始めたのだ。その先は、よりによってライバル会社の青星社(旧青山商店)だった。

(信頼できる専属の契約縫製工場が欲しい……)

そう痛感していた折も折、出入りしていた京都産業新聞の記者から、木原縫工所(旧京都被服)社長の木原きはら光治郎みつじろうを紹介された。

幸一(左)と木原光治郎(出典=『ブラジャーで天下をとった男 ワコール創業者 塚本幸一』)

幸一より33歳も年上の62歳である。

「商品は神様なり!」

という木原の言葉が残されているが、職人かたぎで真面目を絵に描いたような人物だ。

かつて高島屋呉服部に勤務し、外商部を経て独立。「古代屋こだいや」という屋号で呉服商を営んでいたが、戦争中は軍服製造に転じ、戦後も細々とではあるが仕事を続け、信頼できる人だと評判であった。

早速、木原の事務所で専属契約交渉に臨むこととなった。

木原の工場(木原縫工所)は、表から見ると典型的な京町家にしか見えないが、奥に洋館の事務所があり、中庭を挟んで裏に地下1階、地上3階のビルが建っていた。

会ってみると、和服の似合う大柄な人物であった。

「木原さんにお会いできて本当に嬉しい。誠実に製造してくれる方を探していたところだったのです。うちは資金力はありませんが販売には自信があります。貴社で作ってもらった製品はすべて買い取らせていただきます」

幸一が出した「虫のいい取引条件」

威勢のいいことを口にしたが、幸一は資金力のないのを裏付けるように、極めて虫のいい条件を出した。

「そのかわり木原さんには、うちの注文した製品の材料を仕入れていただくのに50万円の資金をご用意いただく必要があります。当社は貴社の全製品の代金を60日間の手形で支払います」

簡単に言えば、“材料の仕入れはそちらでしてください。そのかわり、できあがった製品はすべて買い取ります。ただし支払いは60日後になります”ということだ。

木原はしばし腕組みして考えていたが、

「わかりました」

と静かにうなずいた。すべての条件をのんで和江商事と専属縫製工場契約を結んでくれたのである。

条件を出した幸一の方が驚いたが、これにはある事情があった。

実はタイミングが絶妙だったのだ。たまたま木原は今後の事業展開に行き詰っており、何か新しいことに取り組まねばと焦っていたところだった。そこへ現れた塚本幸一という青年実業家は、自分の失いつつあった若さと強烈な事業意欲を全身にみなぎらせていた。

(この男に賭けてみよう!)

そう思ったのだ。

幸一の情熱が、運をぐいっと引き寄せたのである。

木原は和江商事からの受注に備え、ミシン16台を整備し、新たに縫製工の募集までしてくれた。幸一も木原の熱意に応え、販路拡大に努めていった。