幸一に訪れたまたとないチャンス
そうこうするうちにチャンスがやってくる。
昭和25年(1950)6月、京都円山公園内の東観荘でファッションに関する京都産業新聞主催の座談会が開かれ、高島屋京都店の中川次郎課長とともに幸一も呼ばれたのだ。
メンバーはそのほか、有名デザイナーの藤川延子(京都造形芸術大学創立者)、復員してきた日に伯父の家で模造真珠のアクセサリーを教えてくれた五十鈴の井上早苗社長、戦前から幸一がお世話になってきた婦人雑貨店の花房吉高という顔ぶれ。
主催者には申し訳ないが、幸一の関心は完全に中川課長に向いていた。座談会で話した内容も、中川が女性用下着の可能性に目覚めるよう仕向けるものだったのだ。後に幸一を応援してくれることになるデザイナーの藤川も援護射撃をしてくれたのはありがたかった。
高島屋京都店の大規模な増築
座談会が終わるのを待って、中川を呼び止めるとこう切り出した。
「先ほどお話ししましたように、これからは体のラインをきれいに見せる女性用下着が必ず売れます。高島屋さんでも扱われませんか?」
こうなるともう、中川は幸一の術中にはまっている。
「今のスペースでは無理ですが、今年の10月頃に売り場拡張が完了する予定です。その時には是非置きたいですね」
と言ってくれた。
売り場拡張と一概に言っても大規模な増築であり、高島屋京都店は“新規開店”と銘打って大々的なセールスをする構えだった。その後の交渉で、納入日も聞き出し、間違いなく商品を置いてもらえるという感触を得ることができ、鋭意準備を進めていった。
「10月には高島屋と取引できるぞ!」
あんまり嬉しくて、社員だけでなく家族や親戚にまで話してしまった。そして四条通の高島屋の前を通るたび、増築が終わるのを今や遅しと眺めていた。