ルノワールからパンを恵んでもらいながら…

お金に困ったモネは勝負に出た。当時人気があったマネの「草上の昼食」に大きな影響を受け、彼とそっくりの手法で、背景を真っ黒に塗りつぶした「カミーユ」をサロンへ出品したのだ。そして、絶賛された。しかし、先輩画家のマネに名前が似ていたために、作風を真似している「パクリ画家」だと勘違いされてしまう。

クロード・モネ『散歩、日傘をさす女性』、1875、油彩、キャンバス。ナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C.)蔵〔PD-Art(PD-old-auto)/Wikimedia Commons

その後、妻カミーユとの間に長男ジャンが生まれるが、経済的にはさらに行き詰まっていく。とうとう、モネは愛するセーヌ川に身を投げた。しかし、死に損なった。

極貧だったが、画家仲間で親友のルノワールからパンを恵んでもらいながら、必死に描き続けた。カミーユとモネは家族からは認められていなかったものの、画家仲間には認められていたようだ。ギュスターヴ・クールベが立会人となり、ささやかながら結婚式も挙げている。

追い討ちをかけるように、モネのパトロンであった富豪エルネスト・オシュデの経営するデパートが経済不況のため潰れた。オシュデは妻アリスと人の子どもたちを置いて、ベルギーへ夜逃げしてしまう。モネは、なんと自身の妻カミーユと子どもに加えて、パトロンの妻アリスと6人の子どもの面倒まで見ることになった。

夫婦と愛人一家との突然の奇妙な同居生活

しかもこのアリス、実はモネの愛人のような存在だったというから、話はさらにややこしい。夫婦と愛人一家との突然の奇妙な同居生活の始まりだ。妻カミーユは病気がちで、モネは彼女の治療費にあてるためにも、とにかくたくさん絵を売る必要があった。そして、アリスがカミーユの看病をしたという。まるで「大家族」を描いたドラマのように、波瀾はらん万丈な展開だ。