起死回生の「積みわら」、そして睡蓮へ

50歳の時、デュラン=リュエル画廊で開催された個展で「積みわら」の連作を発表する。まるで古いアジアの仏塔のように描かれたわらの塊は、後光が差すように輝いていた。植物や同じモチーフが始まりも終わりもなく連続する絵画の手法は、古くから生命力や再生の意味を持つことが多い。あるいは、千体仏や曼荼羅まんだらなどはリズミカルに繰り返す表現によって畏敬の念を表している。

クロード・モネ『積みわら、(日光、真昼)』、1890-1891、油彩、キャンバス。オーストラリア国立博物館蔵
クロード・モネ『積みわら、(日光、真昼)』、1890~1891、油彩、キャンバス。オーストラリア国立博物館蔵〔PD-Art(PD-old-auto-expired)/Wikimedia Commons

この個展は大成功。「反復するモチーフ」「連続する色彩」は、ピサロから商業主義的だと批判されたが、整然と並べられた「積みわら」に、人々は新しい自由な表現を感じた。量産したことで、多くのアメリカ人コレクターを喜ばせることにも成功した。こうして、「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」「睡蓮すいれん」の成功へとつながっていくのだ。

失踪した元パトロンのオシュデが亡くなった翌1892年、51歳のモネはアリスと正式に再婚。モネは画家として、経済的にも精神的にもしだいに安定していく。晩年には、ひたすら睡蓮の連作に取り組み、さらなる芸術の高みを目指した。200枚以上も描き続けた睡蓮の絵は、もはや極楽浄土を祈る僧侶の写経のようだ。