「私は目が見えなくても絵を描く」

72歳の時には両目が白内障となり、82歳の時、右目はほとんど見えなくなった。左目の視力もわずかとなった時、モネは「ベートーヴェンが耳が聞こえないのに音楽を作曲したように、私は目が見えなくても絵を描く」と語ったという。

クロード・モネ『日本の橋』、1920~22、油彩、キャンバス。ニューヨーク近代美術館蔵
クロード・モネ『日本の橋』、1920~22、油彩、キャンバス。ニューヨーク近代美術館蔵〔写真=Anagoria/PD-Art(PD-old-auto-expired)/Wikimedia Commons

モネは、作品が「溶けたアイスクリーム」と批判されても生涯、同じスタイルで描き続けた。巨大なキャンバスには中心がなく、始まりも終わりもない。しかし、リアルな空気が伝わってくる。写実では伝わらないものを伝える、インスタレーション的絵画のはじまりだ。モネの作品は、美術が近代から現代へと移行する時代に、絵画を「意味」から「体験」へと変化させていく橋渡し役となったのだ。

モネは、奇妙な大家族のために作品を量産することで成功した。こうして多くのファンを魅了し、歴史に名を刻むことができたのだった。

【関連記事】
ジブリ映画は『魔女の宅急便』で最後のはずだった…解散を先送りさせた「スタッフの給与倍増」という新方針
パズーやシータではない…『天空の城ラピュタ』で宮﨑駿監督がいちばん思い入れ深く描いた登場人物の名前
これでは光源氏に雑に扱われても仕方ない…紫式部が『源氏物語』で「最も愚か」と描いた女性の特徴
江戸城でも名古屋城でも浜松城でもない…徳川家康が生涯で最も愛情を注いだ城の名前
「ねえ、ラブホいかへん?」夜の街で家出少女に声をかけられた牧師はどう答えたか