「個性」の出し方

では、「個性」や「ざらつき感」はどうすれば出るようになるのか。

その答えは「持論を語ること」です。

むしろ、持論を語らなければ、個性やざらつき感が出せないどころか、この情報社会の中ではインターネットやグーグルのサービスなどに即座に負けてしまいます。

ある日、リビングで子どもたちを眺めていたら、とにかくずっとスマホを眺めているのです。何を見ているのかと思ったら、TikTokを眺めている。YouTubeとかTikTokとかInstagramとかは、もう無限に次から次へとコンテンツを自動再生してきますからね、無限ループ状態です。

「君ら、もう完全にスマホの奴隷状態やで。君らが見ている時間帯、すべて会社の収益になってんねんで。彼らの利益を上げるために、君らの時間全部奪われてんのや。もう奴隷やで」

思わず僕はそう言ってしまいましたが、どうも子どもたちはピンとこない様子です。古い世代のおっさんが何言っとんねんという感じです。

スマホ娯楽は本当に感心するほど、うまい具合にできています。ダンスとか歌とか、その人が興味ありそうなコンテンツを次から次へと繰り出してくる。当の本人もソファで寝っ転がりながら、アイスを食べながら見ているものだから、自分の自由意思で楽しんでいるように感じているのでしょう。その実、もう完全に奴隷の域です。時間も意思も思考も全部、デジタル娯楽に奪われている。頭をスマホに支配されているのです。

写真=iStock.com/recep-bg
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スマホにかじりつくうんちく屋

ならばそんな若者を僕ら世代はバカにできるかと言うと、全然そんなことはありません。朝起きてから夜寝るまで、通勤時間も昼休憩も、エレベーターの待ち時間も、カフェでの休憩時間も、僕ら世代だってスマホにかじりついていて、網膜・脳内に流れているのは無限の“情報”です。ツイッターで話題になっている現象、ネットニュースをにぎわす今日のニュース、誰それの芸能人がどうしたというトピック……。

その結果、世の中にうんちく屋が増えました。誰もが何かしら世の中の事象に対して、一言二言、持論めいたものを言う時代になったのです。特に自分が興味を持って調べなくても、次から次へと情報のほうから勝手に飛び込んでくるのだから、当然と言えば当然の話です。誰かが言ったこと、リツイートされた意見、ネットニュースの見出しなど、どこかで聞きかじった知識を自分のものであると錯覚して、再出力していく。情報社会の現代ならではの現象です。