「ただ知っている」だけでは価値がない
そんな誰もが“情報屋”になれる時代、情報通や博識家の価値は低下します。もはや「ただ知っている」だけでは価値を生みません。情報通や博識家は、誰もが使えるグーグルと張り合っても勝負は見えています。その場でスマホ検索すれば正確な情報を得られる時代、クイズ王を目指すのでもない限り、無限の情報収集は意味をなさないことになります。
そんな“情報”に代わって、価値あるものとして浮上してきているのが「持論」です。
世の中で一般的に言われている言説とはちょっと違う、一歩引いた独自の視点から眺める世界観、未来予測、分析、提言です。
世論と自分の間にある「ズレ」を可視化させる「持論」は、「世間の人はAと言っている。でも本当にそうだろうか、むしろBの可能性や、Cの可能性だってあるのではないか」と新たな視点や発見を人々にもたらします。
“真実”と語られている出来事に対して、疑いの目を向け、世論に流されることなく、自分の頭で調べ、思考し、出力できる能力。そこに多くの人が発見や共感を見出すとき、あなたの「持論」は、強烈な価値を発揮していくのです。
情報を独自の視点で調理できるか
ひろゆきこと西村博之さんや、ホリエモンこと堀江貴文さん、成田悠輔さんなど、今の時代に強烈な個性を発する人々がいます。彼らと一般人を隔てているものは、独自の視点、考え方など、要するに確固たる「持論」を持っていることです。
はっきり言って、彼らとて得ている情報は、決して奇抜なものではありません。独自のスパイを持っているわけでもなし、特殊情報機関に勤めているわけでもない。彼らが得ている「情報」そのものは、皆さんもグーグルで得られるものばかりでしょう。
彼らの個性が光るのは、その誰もが得られる情報を、独自の視点で調理する能力を持っているからです。誰もがスーパーで買える食材を、特別の料理に変える能力。この食材が情報であり、料理が持論にあたるのです。同じ食材でも、普通の料理しか作ることができないか、それとも特別の料理を作ることができるか。ここが勝負の分かれ目です。