「やる気がある将校」より「やる気がない将校」
そこで、出世の順番を①「やる気がなく」頭が良い将校、②「やる気がなく」頭の切れが劣る将校、③「やる気があって」頭の切れが劣る将校、最後が④「やる気があって」頭が良い将校、に切り替えたと言われています。
ここでいう「やる気がある将校」とは、ある意味、自分の欲望、例えば出世欲や名誉欲が強い人間です。特に頭が良く個人の出世欲が強い人材は、個人プレーや見せかけのパフォーマンスに走りやすく、結果まで出してしまうために、軍全体のバランスを崩してしまうとの危機感がありました。
一方、「やる気がない将校」とは自分の出世欲などよりも組織マインド(組織全体のことを優先して考える)を持つ人物のことを指していると思われます。
このように、統一後には個別最適を強く推し進める人材に対する警戒感があったとともに、全体最適達成のために組織マインドのある人材を強く求めたのだと言えるでしょう。
上司の決定権を奪っている部下の行動
日本の会社では、身近にいるフォロワーがリーダーの権限(決定権)を“簒奪”しているケースが日常的に見受けられます。例えば、社外の人間から「リーダーに面会したい」とアポイントメントの電話があった場合などです。その電話を受けた担当者が「その時間は社内会議があるので」とリーダーとの面会を断ってしまうようなケースはないでしょうか。
おそらくみなさんも一度は見聞きしたような話だと思います。
その人との面会をとるか、社内会議をとるかの決定権は本来リーダーにあります。
実際、私がとある会社のリーダーに挨拶のためのアポイントを取ろうとした際、電話を受けた担当の方から「その時間は会議(または○○部署の報告時間)です。申し訳ありませんが面会はお受けできません。」と即座に断わられたことがありました。
しかし、本来は、会議(あるいは部下の報告)を選ぶか、部外からの面会を受けるかの決定権はアポイントを申し込んだ相手先のリーダーにあるはずです。
にもかかわらず、電話を受けた担当者が当然であるかのように判断して決定を下して、さらには回答までしていたのです。しかし、こうした担当者も最初からこのような行動をとっていたのではなく、仕事をするうちに、徐々に自分の動ける範囲を拡大して、そのうちにリーダーの決定権にまで拡大してしまうのです。
そのため、リーダーとしては気がついていたけど「今さら指導しづらいなあ、本人は一生懸命真面目にやっているし……」ということになったのではないでしょうか。