「美観上好ましくない」点字ブロックをグレーに
障害者中心のデザインには、障害者の身体が環境とどのように相互作用しているのかについての具体的な理解が求められる。そうした理解なしに、単に「すべての人のためのデザイン」だけを原則にしてしまうと、誰でも利用できるよう設置されたスロープが、ベビーカーを押す人やキャリーバッグを引く人には便利でも、肝心の手動車椅子ユーザーにとっては傾斜が急すぎたり、幅が狭すぎたりといった事態が発生する。
また、「障害者のためのデザインは結局、非障害者にとっても有用だ」という点を強調しすぎると、「障害者だけに有用なデザインはユニバーサルデザインより価値が劣る」という認識が生まれる可能性がある。
ニュースの画面の一部で手話通訳を提供することや目立つ色の点字ブロックを設置することは、非障害者にも有用なユニバーサルデザインではなく、障害者のニーズに合わせたものだ。
ところが韓国社会では、非障害者には美観上好ましくないという理由で点字ブロックを目立ちにくいグレーにしたり、「非障害者の視聴権」が妨げられるからと公共放送のニュースで手話通訳を表示するのを認めなかったりもする。障害者だけのためのデザインが依然として軽んじられていることの証拠だ。
見た目がイヤホンに近い補聴器は便利そうだが…
主流化のもう一つの問題点は、障害者のためのデザインという当初の目的が簡単に消し去られてしまうことだ。たとえば補聴器をヘッドホンやイヤホンのような一般的な物に見えるようなデザインにすると、人々は補聴器をそれらと誤解してその人を無礼だと思ったり、必要以上に大きな声で話しかけたりするだろう。
自閉症児の学習に役立つiPadのアプリがたくさん開発されているが、そういうアプリはゲームや遊び目的のものと誤解されやすい。さらに、タブレットPCのような主流化された装置は医療機器とみなされないため保険の請求が難しく、それは利用者の経済的負担につながる。
とはいえ、障害者のための技術は非障害者や高齢者などにも役立つことが多いため、ユニバーサルデザインの価値自体は変わらない。スペクトラムの一方の端ともう一方の端の両方を考慮したアクセシビリティーデザインは、その中間に位置する人にとっても有用だ。ユニバーサルデザインを目指しつつ、障害者の正義やアクセシビリティーの実現をデザインの中心に据え、障害者が知識生産の主体となることが望ましいということだ。