「安全に飲み物を飲む権利が奪われた」
ストローの使用を減らすことは、環境運動の観点からすると確かに大きな意味があるだろう。けれど、プラスチック製ストローがどうしても必要な障害者は、安全に飲み物を飲む権利が環境運動の声によって奪われたと感じるかもしれない。
新型コロナウイルスの世界的大流行に伴って膨大な量の使い捨て製品が消費されていることが「公衆衛生のためだ」と簡単に合理化されてしまう現実を考えると、ストロー廃止に対する障害者の指摘は「少数の声」ゆえ相対的にかき消されやすいのは明らかだろう。ウォンをはじめとする障害者たちは、ストローを廃止したレストランに対し、障害者のアクセシビリティーのための選択肢を用意するよう求めた。
プラスチック製ストローをめぐる一連の論争は、技術と障害の関係は非常に複雑であること、特定の進歩的な価値のための運動はほかの権利運動と衝突する場合もあることを示している。
患者や障害者のために開発された曲がるストローは、主流化されてどこでも手に入るようになったが、一方でその主流化によって本来の目的が忘れ去られてしまった。
このように障害者のアクセシビリティーをめぐっては、資源の使用や環境問題に関連した、また別の衝突が発生する可能性がいくらでもある。衝突の過程では激しい論争が必要となる場合もある。ストロー論争がおもにソーシャルメディアやブログ上で展開されたことも注目すべき点だ。非障害者の視点では見逃しがちなあらゆる状況や場において、障害者の声が必要だからだ。
(訳=牧野美加)