※本稿は、キム・チョヨプ、キム・ウォニョン共著、牧野美加訳『サイボーグになる』(岩波書店)の一部を再編集したものです。
携帯電話のSMSは聴覚障害者のために開発された
障害者のアクセシビリティーを考慮した建築環境や産業デザインを語るとき、「ユニバーサルデザイン」を思い浮かべる人が多いだろう。「すべての人のためのデザイン(design for all)」とも呼ばれるこのアプローチは、建築物や製品、サービスなどを利用する人が、性別や年齢、障害の有無などによる制約を受けないよう設計するもので、建築家ロナルド・メイス(Ronald Mace)がバリアフリー(barrier free)デザインの範囲を超えるアクセシビリティーを説明するために作った言葉だ。
ユニバーサルデザインのおもな目標は、すべての人に機能的な環境をつくることだ。同じような概念に「主流化(mainstreaming)」がある。ほとんどの補助技術は障害者の特殊なニーズを満たすために考案されるが、やがて社会的に広く使われるようになり主流化されることもある。
飲み物が飲みづらい患者のために開発された「曲がるストロー」、もともとは視覚障害者に本を読み上げる目的で使われていたLPレコード、聴覚障害者の連絡手段として考案された携帯電話のショートメッセージなどは、今や誰もが利用する、あるいはかつて利用していた、主流化された技術だ。
情報技術の分野で広く使われている音声認識やスクリーンキーボード、単語の予測変換、タッチスクリーンのスワイプなども、もともとは障害者ユーザーのために考案され、その便利さから普遍化された機能だ。
「障害者のためだけ」のデザインは必要
障害者のために開発された技術が結局、普遍的に使われるようになるなら、それはもちろんいいことだけれど、一方でユニバーサルデザインという概念の落とし穴も指摘されている。
ハムライは、ユニバーサルデザインを超えた、障害者中心のアプローチが必要だと強調する。ユニバーサルデザインや補助技術の主流化が、必ずしも良い結果を生むわけではないということだ。
ユニバーサルデザインには七つの原則があるが、そのいずれも障害についての明示的な言及はない。「すべての人のための」デザインを強調するあまり、排除された身体を積極的に考慮するという原則が抜け落ちてしまったのだ。
普遍的デザインの「普遍」の範囲を明確にしておかなければ、肝心の障害者のニーズが「普遍」から外れてしまう可能性が出てくる。人類の歴史における「普遍」は常に、ごく限られた身体、つまり「白人、男性、シスジェンダー(cisgender)〔出生時に割り当てられた性別と自認する性別が一致し、それに従って生きる人〕、異性愛者、非障害者、中産階級」に代表される中立テンプレートであったことを念頭に置いておく必要がある。
つまり、「中立」を疑ってみようということ、価値「中立的」なデザインではなく、障害者を中心に据えた価値「明示的」なデザインを目指そうというのが、ハムライの主張だ。