「日本を代表するスポーツメディア」

実はあの東スポが世界中で東京を代表する、いや日本を代表するスポーツメディアと思われていた時代があったという。「東スポ伝説」の類いではない。紙名である「東京スポーツ」には東京の首都名が入っていることから、海外メディアから勘違いされる事例が多発していたという。平鍋氏は述懐する。

「海外で名刺を出すとものすごく待遇がいいんです。日本を代表するスポーツ紙との評判も囁かれているんです。これは本当の話。今だからネタをばらすと、オリンピックや国際的イベントの試合などを取材するときには、主催社や海外の選手たちが東京を代表するスポーツ紙と勝手に勘違いしてくれるんです。結果、海外の選手たちは、これでもかというくらい、多くのことを話してくれました。

2004年のアテネオリンピックのときのことです。オリンピックの開幕前に現地の街ネタを探し、いわゆる風俗を含む歓楽街の街レポート取材や麻薬売買の中心地といわれるエリアで写真の隠し撮りしていたところ、地場の用心棒のような男が近づいてきて、

『お前たちは何者だ! どこからきた⁉』

と凄んでくるわけです。そこで、

『〈東京スポーツ〉だ』

と答えたら急に態度が変わりました。

『ここは安全な場所だ。俺たちはここでヤクを売ったりしていないから』

とか何とか言い訳をしていましたが、東スポに救われたんです。『東京スポーツ』は本当にいいネーミングですよ(笑)。当然、今もまだ、東スポの神通力はまだまだ通じますよ」

写真=iStock.com/LDProd
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破天荒な東スポからエッジが消えた東スポへ

過去の取材姿勢や掲載した記事の編集過程を聞いていると、昭和、平成と相当破天荒な記事作りが東スポの中核を形成していたことが分かる。まさにギリギリのうさん臭さを報じる一方で、綿密な取材に基づいた情報収集能力という微妙なバランスが東スポのキャラクターを培っていた。