イギリスで、41歳のときに母親から突然送られてきた手紙で初めて自分がAIDで生まれたことを告白されたクリスティーン・ウィップ(66)は、「母親から『望まれてこの世に生まれ、愛情を注いで育てた』といくら言われても感謝の気持ちはまったくない」と怒りを隠せない。21歳で初めてAIDで生まれたことを知ったイギリス人のトム・エリス(38)は、「精子(卵子)提供で生まれた子供は遺伝上の父親や母親を知る権利がある」と言い、自分の出自を知る権利を子供に与えないのならば、その人は子供を産むべきではないと怒りをもって主張する。
2010年8月、元郵政相の野田聖子がアメリカで提供卵子によって妊娠し、大きな話題となった。出産後も野田はテレビや新聞のインタビューで、卵子提供者には会えないと約束したことを子供に伝え、誰よりも望まれてきた子だから堂々としてくれと言い続ける、と語った。そうは言っても、それだけでは子供のアイデンティティの空白が埋まることにはつながらないのではないか。
■異母姉妹と知らずに結婚してしまう可能性
加藤は自らの出自を知った1年後に医師の国家試験を控えていたが、そのための勉強にはまったく手がつかなかったという。当時は「AID」という言葉すら知らなかったが、母親が認めた翌日から、まずインターネットで調べ始めた。AIDが提供精子を使う不妊治療であることはすぐにわかったが、それ以上の詳しい情報は当時まだなかった。図書館にも通って医学論文や新聞記事を渉猟した。日本語の論文は、ほとんどが慶應大学の飯塚理八・名誉教授(故人)の執筆によるものだった。
医学部の実習はサボるわけにはいかないが、空いている時間はすべて図書館でAIDについてのリサーチにあてた。そうでもしない限り、自分の気持ちと折り合いをつけることができなかったのだ。「他大学の医学部で精子提供のアルバイトがあるという噂うわさは、飲み会で話に出たことはありました。でも、まさか自分がそれで生まれた子供だとは考えたこともありませんでした」