小学1年生のガウスが見つけた「天才の計算方法」
平均的なレベルの子に合わせた教育システムは当然ながら、生まれながらにして平均より高い能力のある子まで被害者にする可能性がある。
「歴史上最高の数学者」と呼ばれるカール・フリードリヒ・ガウスは、小学1年生のとき、教師が子どもたちに自習させるつもりで出した「1から100までの数を全部足しなさい」という問題を一瞬で解いてしまったという。
普通の小学1年生なら、1+2+3+4+5……と順に足していくだろうが、ガウスが選んだのは1+100=101、2+99=101、3+98=101……というふうに、1から100までの数を外側から順に足すというやり方だった。
これを50回繰り返すのだから、101×50=5050という答えはすぐに導き出せる。
これを小学1年生にして思いつくのだから、まさに天才である。
天才を被害者にする「平等バカ」の日本
ガウスほどではなくても、人並み外れた才能を持った子というのは一定数いる。そういう子にとっては小学校レベルの勉強などたやすいだろうから、本来であれば、もっと難しい問題に挑むチャンスをたくさん与えるべきなのである。
例えばアメリカでは、州によって違いはあるものの、基本的には能力に応じた学年に子どもを配置する方針が取られている。次の学年に進級するレベルに達していないと判断されれば留年する可能性もあるが、逆に優秀だと認められれば小学校を早々に卒業したり、飛び級で大学に入学することもできる。
「ギフテッド」と呼ばれる突出した才能に恵まれた子を国を挙げて支援する環境が整えられているのだ。
しかし、年齢に応じた“平等”な教育を貫く日本では、飛び級が認められるのは、千葉大学などごく一部の大学と大学院だけで、少なくとも義務教育過程では一切認められていない。
だから授業がどれほど物足りなくても、学校にいる時間はただ我慢するよりほかはない。
これは大いなる時間の無駄遣いだし、場合によってはそのせいで類いまれなるキャパシティを生かしきれない危険性だってある。
能力を無視した「平等バカ」なシステムのおかげで、せっかく稀有な才能があっても宝の持ち腐れになりかねないのだ。