なぜひろゆきさんの言葉は子供たちに刺さるのか。塾を経営する著述家の物江潤さんは「金八先生が口にするような熱っぽいアドバイスは、今の子供たちに響かない。劣等感や、努力しても変わらないという思いを抱えているからではないか」という――。(第2回)

※本稿は、物江潤『「それってあなたの感想ですよね」:論破の功罪』(新潮社)の一部を再編集したものです。

ノートをとる女子生徒の手元
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「ゼロ点を取らないため」の受験戦術

私自身、ひろゆき氏的な思想の強さを実感する毎日です。いや、「実感せざるを得ない」と表現した方が正しいかもしれません。

受験勉強には、残酷なまでの適性があります。誰でも頑張れば成績が上がるという考えは無責任な世迷いごとであるばかりか、著しく適性のない生徒に対する呪詛でさえあります。頑張ってもほとんど成績が上がらなかったとすれば、「誰でも」から外れた生徒が抱く劣等感は計り知れません。

そんな彼らに対し、頭ごなしに似たような「~べき」を熱っぽく訴えても、その効果を期待するのは無理な話です。適性があり、努力するほどに環境は変わるという実感がある生徒と、それが全くない生徒とでは、努力の意味はまるで違うからです。

受験勉強に全く適性のない中学生が定員割れした高校を目指すのであれば、私は英語の勉強を禁じます。一般的に記号問題が最も多い試験なので、適当に選んでもそれなりの点数になるからです。

その反対に、ほぼ記号問題のない数学は、最も基本的かつ出題されやすい部分に範囲を絞り、じっくり時間をかけて勉強をしてもらいます。一発不合格になりかねないゼロ点を回避しつつ、最低限の点数を取ることが目的です。

定員割れした学校の入試は、よりよい点数を競う選抜試験ではなくて、最低限の学力を示せれば合格できる資格試験と見なせます。学校の授業についてこられるだけの最低限の学力を示せればよいわけです。

換言すれば、数学で限りなくゼロ点に近い点を取ると、その最低限の学力がないと見なされかねず危険です。だから、ゼロ点を取らないための戦術が必要になってきます。

受験は「非強者」にも勝ち目がある

こうした作戦は、一般的に入るのが難しいと見なされる国立大学を目指す生徒であっても同様です。

倍率がおおよそ2倍未満で、しかも筆記試験が高校2年までの数学と物理基礎だけであり、あとは志願理由書と簡単な面接等で選考が終わるという、嘘のような国立大学の推薦入試を複数確認できます(場合によっては、倍率が1倍を切ることさえあります)。

しかも、1年間に2回受験することも可能で、大学入学共通テストを加味した推薦入試(たとえば某大学の推薦入試は、共通テストの数学IA・IIB・英語・物理・化学で受験可)も含めれば、国立大の推薦入試だけで3回も受験できます。

一般入試では逆立ちしても合格できない生徒でも、この2回か3回の入試だけに絞り、3年生の初め頃からじっくり時間をかけて対策を練れば十分に合格可能です。

受験の世界において、自らが非強者故にリソースが限られていることを自覚できるのであれば、非強者でも勝負ができます。さらに適性のない生徒であれば、戦略的に商業・工業・農業高校に入ってしまうという手があります。こうした学校の生徒だけを対象とした、国立大学の推薦入試が存在しているので、そこで勝負するという作戦です。受験勉強に適性のある強者がほぼいないなかでの競争なので、これならば十二分に勝ち目があります。