仕事や人に縁がある人とそうでない人の違い
なぜか人が集まり、仕事や縁が生まれていく人は、なにか困ったことを耳にすると「それ、手伝えるよ」「この情報、役立つかも」「いい人がいるから紹介しようか」というように、自分ができることを見つけて提供しようとする人です。
反対にあまり仕事や縁がつながらない人は、話をしても「そうなんだ」で終わってしまう。なにか与えようとすることを遠慮しているのかもしれません。なかには何歳になっても「付き合って得になる人かどうか」という目で見定めてつき合おうとする人もいます。そんな人は、残念ながら、だんだん人が離れていくはずです。
50歳からは一個人として「与えること」「貢献すること」でつながるステージに入ります。知恵と経験を重ねてきた年齢だからこそ、「それ、手伝えるよ」という機会は山ほどあります。それがあれば年齢、立場、国境を超えて人とつながれます。
特に話を聞くこと、見守ること、教えること、人と人をつなげることなど人間ならではの力は、若い世代より、AIよりもずっと得意なはずです。
ただし、大事なポイントは相手に「喜ばれるかどうか」ということ。喜ばれなければ、ただの押しつけや、ありがた迷惑になってしまいますから。
見返りを求めず与え続けるべき
「求められていること」で「自分のできること」を見つけようとするクセがある人は仕事だけでなく、あたたかい関係や心の充足など、さまざまな恩恵が雪だるまのように大きくなってきます。
かつて限界集落に近い農村で暮らしたとき、不便な分、まわりの70代80代にずいぶん助けられました。「バス停まで送るよ」「草刈りしようか」「お漬物つくったけど、いる?」「タケノコの茹で方、教えるよ」という具合に。
それを喜んで感謝すると、次もまたなにか提供してくれる。
「それはいりません」と言うと押しつけない。互いに無理に合わせようとしないことが大事で、違うからこその助け合いが生まれるのです。
こちらもなにか恩返しがしたくなって、若い世代とも協力して住民が郷土料理などを振る舞うイベントを開催したこともありました。しかし、農村で私のできることは限られていて「いつもしてもらってばかり……」と恐縮すると、「喜んでもらえるだけで嬉しいから」とあたたかい言葉。
人のために尽くそうとする人のなかにいると、ほんとうに心強いものです。また、与え合うことで小さな「交換経済」が生まれます。この「交換経済」こそ、人生の後半で意識したい、最先端で持続可能なシステムではないかと思うのです。