「生活習慣病は自己責任」という意識が広まる危うさ
現行の健診では、いわゆる「生活習慣病」をターゲットに検査項目が組まれている。肥満度や血圧、コレステロールや血糖値など、これらの数値を基にして将来生じうる疾病の予測と予防につなげようという意図だ。そしてこれらの数値に異常がある人については、その人の「生活習慣」に問題があるとされ、その個人に生活習慣の是正が求められることになる。つまり数値の異常をすべてその人の生活習慣に帰するという考え方だ。
このように言うと「生活習慣病は不摂生な人がなるものだ。医者のクセにそんなことも知らないのか」と言われてしまいそうだが、生活習慣病をすべて個人の不摂生そして自己責任に帰するべきでない、というのが私の医者としての持論だ。このことについては拙著にて詳しく解説しているので納得できない方はぜひご覧いただきたいが、仮に不摂生で病気が悪化した人であっても、それがその個人の怠惰や意識不足だけが原因かというと、そうでないこともじっさいに診療していると気づかされることが少なくないのだ。
過労、深夜帰宅、貧困…努力だけでは健康になれない
例えば過労。いわゆるブラック企業で労働している方などは、生活が極めて不規則だ。食事も定時に摂ることができず、深夜に帰宅しそこで束の間の休息。いけないと分かっていながら就寝直前に“まとめ食い”、つい食べ過ぎてしまう。このような「生活習慣」をも個人の責任だけに帰されるべきと言えるだろうか。
そして貧困。収入が少ない場合、バランスの取れた食生活を維持することは困難となる。消費税も上がり、さらに昨今の物価高。かつて自由民主党の片山さつき議員はある雑誌の対談で「本当に生活に困窮して、三食食べられない人がどれほどいると思う? ホームレスが糖尿病になる国ですよ」と述べたが、生活に困窮している人の食生活こそ糖質などに偏りやすく、肥満になりやすいことは私たち医師の間では常識だ。
つまり「健康」とは労働環境や自然環境、住環境や家庭環境といった個人の独力ではいかに努力しようとも解決できないものに多分に影響され得るものなのだ。すなわち、その人の置かれた状況や背景を見ずして、データだけを見て「不摂生者」「生活習慣不良者」と決めつけて自己責任を追及したところで問題はまったく解決しないのである。