就職活動で不利になる未来がやってくる
保険者が個人の健診結果を把握して、データのみで個人を選別する社会となれば、個人が思わぬ不利益を被る可能性も出てくる。個人の健康情報が保険者から保険者へと引き継がれることとなれば、「生活習慣不良者」とのレッテルが転職するたびにつきまとうかもしれない。企業にとってみれば、それは願ったり叶ったり。仕事の能力もさることながら、同じ能力ならばより健康リスクの低そうな人を採用したいと思うのが経営者というものだ。
しかしデータのみでプロファイリングされてしまう社会が日常となれば、自己責任に帰されるべきでない疾患を抱えた人、どんなに努力しても生活環境が変えられないばかりにデータが改善しない人、経済的余裕がなく食事療法も医療機関への受診もままならないという人が、十把一絡げに「不摂生者」との烙印を押されて排除されてしまうことにもなりかねない。
「健康」が絶対視されることになれば不健康と見なされた人が排除されていく社会につながる。それは優生思想とも親和性の高い危険な社会とも言えるだろう。
そもそも今の保険証でなんら不便はない
そもそも今、あわててマイナ保険証にする必要などあるだろうか。現行の保険証は将来的に使えなくなると聞いたから不安、という方もいるかもしれない。だがもしマイナンバーカードに一本化されると、紛失してしまった場合、非常に不便になってしまうことから、政府は現行の保険証を完全廃止することはないだろう。つまり現行保険証のままでも何ら不便は生じないのだ。
もちろん「医療におけるDX」が不要とか無意味とか有害などと言うつもりはない。だが、政府がもし医療にデジタル技術を積極的に取り入れ、医療機関相互の情報交換を円滑に進めることを本気で目指すというなら、マイナ保険証の推進より何より、いまだに中小病院や診療所での普及率が6割以下という電子カルテの普及率を100%にすることが、どう考えても先だ。やることなすことがチグハグなのだ。
窓口負担の上乗せだけで怒っている場合ではない。「マイナ保険証」の利便性の裏に隠された「危険」にこそ私たちは十分に警戒し、なりふり構わぬ政府からの押しつけに怒りを示さねばならないのではなかろうか。